素人目線(1)日本の法制度には安定性など存在しない

磯崎首相補佐官の「安保法案と法的安定性は関係ない」と言う発言で揉めている「法的安定性の重要性」については、法律に素人の筆者は「法の安定した適用と予見性を維持する事は、物事を公平に扱う法治主義倫理の中核をなし、これが欠けると国民は安心して生活する事すら出来ない」と解説した英文の憲法入門書で得た知識程度しかないが、この解説が正しいとするなら、日本国憲法の矛盾した内容と無謬性を保証された官僚の手で法の恣意的適用が跋扈する日本の法制度では、法の安定した適用と合理的な予見性を維持する事は不可能に近い。

日本国憲法の前文は、その前段で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と、自国の安全と生存の保持の実現を他力に頼る宣言をした世にも稀な憲法である一方、後段では「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と規定して、前段にある「他力本願」を否定するばかりか、海外諸国と一致団結して自国の主権を維持する事が国家の責務であると認めるなど、安倍政権の安保法案より更に一歩踏み込んだ積極的な集団的自衛権を認めたとも取れる内容で、前段と後段で相対立する論理を主張する混乱振りである。

ひょっとすると、後段の主張は:
東ニ病気ノコドモアレバ   行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ    行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ   行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ
北ニケンクワヤソショウガアレバ  ツマラナイカラヤメロトイヒ

云々で始まる宮沢賢治の「アメニモマケズ」に示された倫理観に近いとも受け取れ、この考えを「安保法制」に敷衍すると、専守防衛をベースにした集団的自衛権論を遙かに超える概念となり、第九条との両立は益々難しくなる。

このような矛盾に満ちた規定は日本国憲法の各所に見られるが、これが政治家や役人がその時々の都合と恣意により、法の適用を選択できる「人治主義」の温床となっている。 

このような法制度の毀損を広げているのが、憲法に普遍的で合理的な運用基準も設定せずに34箇所にも上る「法律でこれを定める」と言う規定を盛り込み、憲法の施行を下級法に丸投げしている事実である。

そして、その下級法はと言えば、129年も前の帝国憲法下で制定された民法を、やっと今年になって改正する事を閣議決定したように、主たる法律の殆んどは、帝国憲法思想下で制定されたものであり、ここでも新旧憲法の思想的な対立を抱えたままで、どちらの思想を採るかも官僚の恣意判断に任されている。

憲法で定めた「法律でこれを定める」と言う下級法への丸投げ項目が、役人の自由な恣意で法の適用を決める法的根拠となり、日本の「法的安定性」を破壊し、法治国である筈の日本を実質的な「人治国」の地位に留めているのである。

「女性が輝く社会」の実現を掲げる安倍内閣にちなんで、憲法が一貫して保障して来た「法の下における男女の平等」の原則を、帝国憲法時代から継続された旧民法の規定をそのまま適用したい役人の法律論によって否定され、永い間に亘り安心した生活が出来なかった実例を挙げてみたい。

広島カープの生んだ不世出の名選手で国民栄誉賞を受賞した 衣笠祥雄氏は男性優位の国籍法の為に、永い間に亘り基本的人権を蹂躙されて来た事をご存知だろうか?

衣笠氏の母親は日本人だが、生後間もなく連絡の取れなくなった父親が米国人であったため、「父系優先血統主義」の立場をとる「国籍法」の規定で日本国籍の取得を否定され、母方の祖父と養子縁組をしてやっと日本国籍を取得し、無国籍状態から脱却出来た実例がそれである。

法務省の役人が女性差別の国籍法の改正に最後まで抵抗した為、その改正は難航し、憲法発布以来40年近く過ぎた1984年になってやっと改正されたが、それも日本が同年に「婦人差別撤廃条約」を締結した結果、法務省が海外からの圧力に屈した為であり、自主的に改正したものではない。

このように、憲法の規定より官僚の恣意的判断が優先する日本の法制度では、法の安定性を求める事は「豚が木に登る」事を期待するに等しい。

国籍法の改正当時の法務省民事局長は、国会で国籍法の違憲性を問われ「父系優先血統主義は憲法の精神と若干疑問を持たれる点があるわけでございますが、御承知のように『法律の定めるところによる。』ということになっておりますので、私どもは結論としては憲法に違反するものではないという考え方を持っております」と答弁するなど、役人の下級法解釈が憲法に優先するような答弁を平気でしており、自分の気に入った解釈だけをつまみ食いする日本の「人治主義」は健在である。

この事は「衆議院会議録情報 第101回国会 法務委員会 第12号」の議事録を読むと憲法学者でもある土井たかこ議員の鋭い質問に、民事局長が追い詰められている様子が鮮明に判る。

日本独特の「役人の無謬性」が、役人の恣意で法の適用を許す温床となっており、それが「法的安定性と合理的な予見性」を妨げている事を思うと、日本の法制度には「法的安定性」など存在しないと思えてならない。

2015年7月29日
北村隆司