バブルを理解する実体と実際

2015年08月23日 06:47
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最近、若い方(とりわけ学生)からバブル経済について聞かれることが増えました。不況の真っ只中で育ってきたのでイメージがつき難いのでしょう。果たしてどのような時代だったのでしょうか。

●高度経済成長からバブル経済
高度経済成長期の政策は公共工事と減税でした。全国の津々浦々にお金がばら撒かれました。好景気ですから企業は儲かり多額の税金を支払うため国の歳入は増加します。その後、安定的に経済は発展を遂げますが、1985年のプラザ合意後、急激な円高が進んだため公定歩合を引き下げます。これがバブル経済の始まりといわれてます。

80年代後半、GDPは前年比5%前後で伸長し内需も拡大していきます。しかしこの内需は、銀行、証券、ノンバンク、企業が「財テク」に走った結果であり、その後、主要都市の地価が高騰して地上げが横行していきます。土地の値上がりが見込まれると「土地転がし」でもうけようと、投機が投機を呼ぶ土地バブルが発生しました。バブル経済は、プラザ合意後の、1986年12月~1991年2月迄を指すのが一般的で、絶頂期の1989年には実体経済としては説明し難い経済波及を促し、その後に総量規制等の影響で衰退していきます。

1989年の1年間における日経平均株価の上昇率は約30%。誰もが1990年以降の拡大を疑いませんでした。著名な経済誌ではアナリストやコンサルタント、上場企業の経営者の多くが、1990年の高値を4万円以上と予想をしていました。羽振りもよく中堅以下の都銀でも支店長クラスで冬の賞与が300万円。主任調査役(課長クラス)で200万円。金融の中で格下に見られていた証券会社でも同等額が支給されていました。

当時、私は学生でしたが、金融に就職したOBに「賞与が立つ」という話をされたことがあります。これは「札束で賞与が支給されるので封筒が立つ」という意味です。ある大手不動産会社の入社案内の表紙はギリシャのパルテノン宮殿でした。ページをめくると100億円を動かす男と称して新入社員が紹介されていたのを覚えています。

また時代を象徴する企業活動として、メセナ、フィランソロピーがあります。メセナは、企業が資金を提供して文化や芸術活動を支援する活動のことです。企業が主催するコンサートや公演、スポーツなどに金に糸目を付けない目的とかけ離れた活動が盛んに行われました。フィランソロピーもメセナに並ぶ活動として認知されました。フィランソロピーは奉仕的活動や慈善活動を支援する活動のことです。企業の社会貢献として拡がりましたが、バブル崩壊後、メセナ、フィランソロピーの規模は大幅に縮小していきます。

●誤ったバブルのイメージ
映画やドラマでバブル時代を描いたシーンは少なくありません。ある映画ではタクシーを停める際に一斉にサラリーマンが万札を振って停めるシーンがありますがあれは脚色されています。タクシーを拾う際に最も威力を発揮するのはタクシーチケットでした。特に個人タクシーのチケットはどのタクシー会社でも例外なく利用できたので大いに重宝されました。

また、就活の選考が進んでいけばタクシーチケットが配布されました。しかしタクシーチケットは利用料金を書き込まなければ無制限で使えてしまいます。タクシーチケットをもらった学生が旅行にタクシーを使い、料金が数十万円に及ぶ事故が多発しました。よってあらかじめ金額が記入されているタクシーチケットの配布が一般的でした。

ほかに誤った光景としてはジュリアナ東京があります。バブル経済の場面になるとジュリアナ東京の映像と当時のテクノハウスがかかることが多いですが、OPENは1991年5月ですからバブル崩壊後です。1992年くらいまでは、景気は持ち直すという楽観的ムードが漂っていました。そのような時期に、OPENしたのがジュリアナ東京になります。ジュリアナ東京のOPENにあたっては、各種経済指標が低迷していたことから必ずしも容易ではなかったといわれていますが予想に反して大ヒットにつながることになります。

なお「バブル崩壊」は、ある瞬間に発生した現象ではありません。「バブル崩壊=体感」ができたわけではありません。誰もが、バブル崩壊と気がつかず、数年間をかけて生じてきた社会現象です。しかもバブル崩壊のその頃から、日本は高齢化社会に突入します。社会保障費は年々増加し歳入よりも歳出が多くなったことで国民負担は増加していきます。

●バブル崩壊の予兆とその時期
スイスのビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)は2015年5月27日、2015年世界競争力年鑑を発表しました。日本は27位となり前年から6位順位を下げています。ビジネス効率やインフラの部分での評価が下がったことが要因とされています。日本の国際競争力は、1992年までは第1位でした。

1990年代の初頭、政府は景気に自信をもっていました。日経平均株価は1990年10月には2万円を割り込みます。1989年末の3万8915円からはほぼ半値の暴落であるにも関わらず誰もがその予兆を察知できませんでした。バブル経済という言葉がメディアで使用されて、経済環境が鈍化してきたことを実感するのは、1992年の後半以降です。

その後、大手証券による損失補填や、金融業界の不祥事が次々と発覚します。非正規雇用労働者はバブル崩壊前は10%台でしたが現在では40%に迫る勢いです。サラリーマンの賃金も2002年を境に下がり始めます。日本は失われた20年に突入しバブル前の水準に戻ることはありませんでした。

●尾藤克之
ジャーナリスト/経営コンサルタント。代議士秘書、大手コンサルティング会社、IT系上場企業の役員等を経て現職。著書に『ドロのかぶり方』(マイナビ新書)、『キーパーソンを味方につける技術』(ダイヤモンド社)など。
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尾藤 克之
コラムニスト/経営コンサルタント

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