原電敦賀発電所の破砕帯問題--規制委の監査が必要

東田八幡 環境法研究家

原子力規制委員会の活動の問題点については、拙稿で述べている。

原子力規制委員長「恫喝」への疑問-関電美浜審査をめぐり
原子力規制委、行政監査の必要性-独善をただすために

8 月5 日にエネルギーフォーラム社の主催で敦賀発電所の破砕帯問題を技術面及びプロセス面の両面から評価するシンポジウムが開かれ、筆者も予てからこの問題に注目しており、このシンポジウムの様子をネット放送で視聴した。
(第1部)


(第2部)

シンポジウムでの議論

第1部では、4人の地質学の専門家の先生が有識者会合の評価書について、その問題点というか学術的観点からの「誤り」を非常に明確に指摘し、問題になっている破砕帯が「活断層でない」ことを学術的に非常にわかりやすく明快に証明していた。

これらの点については、昨年12月10日の原子力規制委員会のピアレビュー会合でも、専門家の先生らがそれらの点を指摘したところだ。それに対し「そういった根本的な意見は取り上げない」として座長が無視をする議事をしていたことをまざまざと想い出させるものであった。

またその時指摘をしたピアレビュアの一人はそのあとエネルギーフォーラム誌2015年2月号で「それでは、何のために私たちは現地視察までしたのでしょうか。まったく意味がない。評価書案の内容をもう一度、再検討していただきたい。」とまで言っていた、その件である。改めてピアレビューの審議の異常さを認識させられるものであった。(なお蛇足ではあるが、「ここは再評価するところではございません」を連発したピアレビュー会合の座長はどういう理由か不明であるが、その後早々に辞任している。)

そして第2部では、法律家やマスコミの方によりプロセス面の妥当性について議論がなされた。その中では原子力規制委員会は独立性の強い行政組織法上の「3条委員会」であろうとも、規制を行う以上は法律に基づいた審査をきちんとすべきであるにも拘わらず、実態は非常に杜撰でルール・オブ・ローになっていないと結論付けられたのである。

ただ残念であったのは、筆者が見ていた印象では、この第2部での議論が破砕帯に関する評価会合の問題を超えて、規制委員会がしている様々なおかしな行状に対する批判に議論が広がっていったため、期待していた敦賀発電所破砕帯評価会合のプロセス面の検証からはだいぶ離れた展開になったことは否めない。そこで筆者はこれまで分析してきた問題点を踏まえ、改めてこの破砕帯の評価会合について、プロセスの問題に絞って検証をしてみたい。

評価会合のプロセス面の問題点の検証

ここでは評価会合のプロセス面の問題点について、3つの観点から分析をしてみたい。

第一は、評価会合が公権力の行使にふさわしい形で適正手続に則って公正に行われたのか。

第二は、評価書の作成が、オープンな形で適正かつ合理的になされたのか。

第三は、評価書の扱いが途中で変更されたことはないのか。

(1)評価会合の審議の過程は公権力の行使の観点から、適正といえるか?

評価会合の審議の実態については事業者が会合の都度その問題点を公表してきているし、その実際の様子はYouTubeでも規制庁の議事録でも明確に確認できるのであるが、その実態は、「規制当局としての事前の約束を守らない、資料は受け付けない、質問には答えない、反論は許さない、結論に係わる証拠を示さない、議論は一方的に打ち切る、などの不公正な取り扱い」をしてきたというのが真実である。

しかしながら、田中委員長4月7日の国会での答弁で「これまで14回の会合を開催しており、そのうち7回の会合には事業者に出席いただき議論したものと承知している」旨の発言をしている。

しかしながら、これについての事業者の主張を見ると、7回というのは回数だけのことであり、その大半は冒頭の説明のみであったり、議論が一方的に打ち切られたり、資料を使わせないという状態だったりして、とても「議論した」という代物ではないとしている。(事業者ホームページ、「事実関係について(その4)」)

筆者も改めてそれらの会合の議事録を読み直してみたが、どう見ても十分に議論したという形跡はない。事業者が言っているのが現実の姿である。事業者の生殺与奪の強権を握っている規制当局者として、こんな事実に反することを平気で発言するというのは有り得ない不行跡である。

評価会合の審議の過程が上に述べたような実態である以上、行政運営の公正性や行政手続の適正性の観点から公権力を行使する規制当局の行為として決して許されるものではない。これが放置されているというのはどういうことであろうか。

(2)評価書は公開の場で適正にまとめられたのか?

規制委員会に議事録によれば最終的な「評価書」は2015年3月25日の委員会の場に報告されたことになっている。しかしながら、昨年の12月10日のピアレビュー会合以降、評価会合が開催された形跡はない。しかも、その評価書では、事業者の言葉を借りれば、「評価書の論点がすり替えられ、極めて重要な結論部分が変更されていた」というのである。

極めて重大な指摘である。これはどういうことかというと、2年9か月前の当初から活断層かどうかが問題とされた破砕帯は、明らかに終始、「K断層」と「D-1破砕帯」であったのである。これは規制委員会の関係する文書(平成25年(2013年)5月22日、同29日、12月28日など)を見れば一目瞭然である。さらに最後の公開審議となった平成26年(2014年)12月10日のピアレビュー会合の資料と議論においても「K断層とD-1破砕帯」が問題となっていたのである。

ところが、翌3月25日に委員会に出された評価書で突如として、「D-1破砕帯など、・・・を通る破砕帯のいずれかと」という表現が表れたのである。これまで2年9カ月の間D-1破砕帯以外の破砕帯が結論との関係で議論されたことは、まったくなかった。

それでは、誰が、いつ、どこで、この結論に係わる重大な部分の「すり替えをした」というのか。

これについては規制委員会からも規制庁からも説明が全くなされていない。これで規制委員長がいつも言っている「公開の場でオープンな議論をしている」ことになるというのであろうか。マスコミもどうしてこんな明白な矛盾を記者会見で問いただすことをしないのであろうか。

そもそも公開の場で議論したこともないような結論を変更した評価書を受け取った規制委員会がこんな「すり替え」を許したのは理解できない。この結論は明らかに事業者の財産権を侵害するものであって事業者の企業生命を脅かすものであり、規制当局の行為として許されるはずがない。

加えてこの「すり替え」はさらに重大な問題を孕んでいる。それはこの結論が単に手続的におかしいというだけではなく、科学的、理論的にもおかしいということである。

それは破砕帯ができたときの活動の方向が、K断層と、D-1破砕帯及びその他の原子炉建屋周辺の破砕帯とは、全く“違う”ということである。地質学的に言えば、K断層はいわゆる「逆断層」であるのに対し、D-1破砕帯は「正断層」であり、(高校の地学の知識でもわかることであるが)この両者が同じものであるはずがない。(この点は評価会合で有識者自身も認めていたのである。当然のことではあるが。)

さらにその他の破砕帯もすべて「逆断層ではない」というデータが事業者から出ているのである。(これらの点は、事業者は「66の問題点」の中で詳しく反論しており、データ類も引用されている。)それなのに、評価書では、それらの不都合な事実をなんら示すことなく、また先に述べたように「結論をすり替えた」にもかかわらず、何の根拠もデータも示していないどころか、何らの説明もしていないのである。

この問題について、規制庁は事業者との面談で、「有識者会合の評価内容や検討過程を議論することはない」(2013年6月10日)、「評価書の中身を確認する行為に意義を見出すことができない」(同6月13日)旨を述べたということのようである。

公権力を行使する規制当局の言葉としてはとんでもない暴言である。先のシンポジウムで法律家の先生が述べていたように、法律に基づいてきちんとした手続きと説明をする必要があるのは当然のことであり、それをしないでいいはずがない。我が国は法治国家であり、こんな無秩序なことを見逃すことがあってはならない。

規制委員会は直ちに「公開」の場で、書き換え(すり替え)をした「理由」とその科学的「根拠」を明らかにすべきであるし、これまで評価書に異論を唱えてきた事業者やピアレビュアの意見に真摯に耳を傾け、十分な議論をする必要がある。それが規制当局に求められる法律的な要請であり、また責務でもある。

(3)評価書の取り扱いは変更されていないのか?

評価書の取り扱いについては、規制庁の面談記録によれば、事業者は昨年12月3日を境にしてその解釈が変更になったのではないかとの疑念を持ち、規制庁に対し昨年12月5日以来質問をしてきたようである。

その結果が7カ月以上も経過した本年の7月8日に規制庁から何故か、口頭で回答がなされたという。その内容に対して事業者は7月13日と8月7日にその回答の矛盾点を指摘し、再質問をしているが、確かに聞けば聞くほど疑問が湧いてくる。規制庁が2年9か月前の当初から「方針は何ら変わっていない」と強弁しているだけに不可解さが増してくるのである。

そしてその疑念は、今年8月7日に事業者が公表した「意見書」の「別紙1」を見るにつけ、より一段と深まった。

評価書の扱いは規制委員会、規制庁が何と詭弁を弄しようとも明らかに「変更」になっているのである。これまた明白な「すり替え」である。それは、「別紙1」で明確化されているように、昨年12月3日の前後での規制委員会の資料及び議事録を比較して見れば、一目瞭然なのである。これは隠しようのない事実である。

こうした厳然たる事実があるにも拘わらず、そうでないと主張するのは、行政機関による明らかな”虚偽”説明である。規制機関としての説明責任が果たされていないというレベルの話ではなくなってきている。虚偽、不正というレベルの問題である。こんな虚偽、不正がどうして我が国の行政機構の中で許されているのであろうか。

規制委員会、規制庁の人間は誰もこの事実に気が付いていないとでもいうのであろうか。この3年近く委員会審議や資料など公表された内容をずっと追っているマスコミがどうして沈黙をしているのであろうか。さらに今回の「別紙1」を見ても何も思わないのであろうか。

それをいいことに規制委員会、規制庁は高を括っているのであろう。結論的に言えば、こうした虚偽、不正の実態を解消するためには、最早この組織の自浄作用に委ねることはできないということが再確認されたということである。

第三者による監査が今こそ必要である

以上詳細に見てきたように、評価会合のプロセスは法律家の目から見ると著しく不公正かつ不合理な様相を呈している。これをマスコミはもとより政府自身が放置しているということは「行政の公正な運営と透明性」が強く求められている。この世の中において信じられない事態であり、このまま放置してはならない。先の拙稿でも述べたところであるが、こうした行政機関による不公正、不適切な実態があればそれを監視、監督、調査し、是正勧告をする役割を政府の中で担っているのが、総務省である。(総務省設置法第4条、第6条)(解説記事

これだけ当事者たる事業者からも、雑誌やネットにおいて識者からも、さらには国会においても問題視されているのであるから総務省が知らない振りをしているのは許されないであろう。ましてや「他人による監査の必要性は感じない」(2015年6月24日記者会見)などとうそぶいている委員長がいる組織が原子力規制委員会である。

そうであればなおさらのこと、第三者による監視や監査が必要であることは言うまでもない。国家行政組織法上は総務省が国の行政機関に対する第三者監査の役割を担っているのであるから、今こそその役割を果たすべきである。