中国の迷走に出口はあるのか?

岡本 裕明

9月に入り東京、ロンドン、ニューヨーク等世界の株価ボードは一様に2-3%の下落でスタートしました。唯一、上海総合だけは1.23%の下落にとどまっていますが、引け前1時間の出来高の異常な増え方を見れば必死の買い支えの結果だったと思われます。以前にもお伝えした通り、9月3日のパレードに向けて国の安定感を装うのに相当苦労しているのがありありと伝わってきます。

その中国。経済政策の迷走が続いていますが、その基本は国内消費は上向かず、富裕層は海外で消費をし続けるという構図ではないかと思います。もともと中国の消費性向は低く、貯蓄型であるその理由は誰も政府を信じていないからとも言われます。共産党一党体制、かつ情報がコントロールされている以上、国民は搾取されているともいえますが、それに対抗するために自分の身は自分で守り、お金は貯めておかねばなりません。また、社会保障制度もまだまだ不十分で、老後の身の問題もあります。

カナダ バンクーバー。林立する高層マンション建築現場のタワークレーンの写真だけ見れば新興国と見間違えるかもしれません。あるいは品のよい戸建て住宅街として知られていたある通りの片側は十数ブロックに渡り、取り壊され、低層の分譲住宅が雨後のタケノコのように建設されています。そしてそこにはSOLD OUTの字があちらこちらで踊っています。

2四半期連続のマイナス成長となったカナダに於いて今や中国人の不動産爆買いがなければ景気の支えようがないといわれても致し方ありません。高額物件の7割は中国人の「お買い上げ」でそのマネーの流入は続きます。同じことは日本での爆買いもそうでしょうし、東京あたりの不動産にも触手を伸ばしています。マネーは中国から確実に外に流れ出しています。

その中国は元売り外貨買いの為替予約の際には2割のデポジットを要求するという珍案を生み出しました。まさに外貨流出を食い止める必死の策であります。

中国の内需が伸びないもう一つの考え方として消費が楽しくないのかもしれません。モノがある程度揃う中、更に買い替え需要を喚起するには技術革新やアイディアなどの刺激が必要です。ところが中国にはコピーする能力はあっても生み出す能力はまだまだ備わっていません。とすれば、買い替えへの刺激が十分に行き届かず、13億の人口が作り出す経済の潜在能力を引き出せていないということなのでしょう。

中国の先行きに対する不安を煽るような話題も多くなっています。目先は先日指摘した「エルルの29日」である9月13日、ダイヤモンド誌には2017年説が出ていますし、私はオリンピック10年説(オリンピックの10年後前後に大きな危機がくる事実)として2018年もありだと思っています。

私が考えるその究極の失策は習近平国家主席のスタイルにある気がします。彼は国民的人気から恐怖政治そのものになりつつあります。その意味とは「投獄、殺戮等の苛烈な手段によって、反対者を弾圧して行う政治のこと」(ウィキより)であります。これにより政治が委縮し、習近平氏を崇拝することを強いられる風潮が共産党内部に作り出されているとすれば毛沢東氏の文化大革命と全く同じ道をたどることになります。

1966年から76年の約10年間は中国人にとってまさに失われた10年でありました。習近平氏は権力闘争の挙句、強引な政策とパッチワークのような珍妙な対策の数々、更には李克強首相を人身御供とし、いつでもバッサリ行くぐらいの冷酷さとの微妙なバランスの上に成り立っています。しかしこんな駆け引きばかりでは経済の疲弊度は深まるばかりであります。

私は以前から13億の民が作り出す基礎代謝の経済力はある、と考えています。一方で中国でも世界でもその不安感が増幅機にかかったように噂が噂を呼び、市場は荒れ狂っています。この嵐は過ぎ去るのか、更に大きなものが来るのか、それは習近平国家主席の手腕にかかっています。が、味方で固め、イエスマンばかりの取り巻きが生み出す組織が長く持たないことを世の歴史が証明していることを忘れてはなりません。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 9月2日付より