欧州のイスラム化は避けられるか --- 長谷川 良

ハンガリー経由で多数の難民・移民がオーストリア入りした時、国営放送記者が若いウィーン市民にインタビューした。
「あなたは中東からの多数の難民殺到をどのように考えていますか」
「自分は神を信じるキリスト信者だから、救いを求めて逃げてきた難民を追っ払うことはできない」と答えた。この優等生のようなコメントには、大げさに表現するならば、近未来の欧州の宿命を予言しているように思えるのだ。

オーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿は全教区に難民の受け入れを求めた。トライスキルヒェ難民収容所は殺到する難民を収容できず、一部の難民たちは屋外のテントでの生活を強いられているからだ。
同国のファイマン政権はウィーン市を含む9州に難民収容を要求し、その州、市の人口比で難民収容数を算定し、実行を促す一方、連邦政府が必要ならば州に対して強制的に収容所を設置する権利を付与する法案を考えるなど、難民の収容に努力している。

それに対し、同国野党の極右政党「自由党」シュトラーヒェ党首は、「殺到する難民の多くはジュネーブ難民条項に合致する難民ではなく、豊かな将来を夢見る移民たちだ。移民の殺到を阻止するため対ハンガリー国境の監視を強化すべきだ」と主張する一方、「殺到する移民の多くはイスラム教徒だ」と指摘し、キリスト教社会への脅威となると言い切った。

キリスト教社会の欧州で問題となるのは、自由党が指摘するまでもなく、難民・移民たちのほとんどがイスラム教徒であり、キリスト信者ではない、という事実だ。オーストリアでは年々、教会から信者が去っていく一方、移住者のイスラム教徒が増加している。将来、キリスト信者とイスラム教徒の数が逆転し、後者の国民が過半数を占める日もけっして夢物語ではなくなってきたのだ。

ここまで考えていくと、仏人気作家ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)氏の最新小説「服従」(独語訳タイトル)のストーリーが現実味を帯びてくる。小説の内容は、2022年の仏大統領選でイスラム系候補者が選出されるという話だ。著者は、カトリック国フランスでイスラム系大統領が選出されるという皮肉な結果をシニカルに描き、大きな反響を与えたばかりだ。

欧州のキリスト教社会が北上してきたイスラム教徒になぜその主導権を奪われるのか、そのプロセスを簡単に説明する。

そこで先述した若いウィーン青年の「キリスト信者として受け入れる以外にない」というコメントを思い出してほしい。このコメントは「欧州キリスト教社会は難民を受け入れる以外に他の選択肢がない」ことを示唆しているのだ。隣人を愛し、困った兄弟姉妹がいたら救いの手を差し延ばせと説いたイエスの教えを聞いてきたキリスト信者たちは、助けを求めるイスラム教の難民、移民を無慈悲に追い返すことができないのだ。
シェーンボルン枢機卿が述べているように、「宗派の違いは問題ではない。神の前にはすべて兄弟姉妹だ」というわけだ。その際、彼らの口から飛び出すのは、「寛容」と「連帯」という言葉だ。啓蒙思想で「自由と平等と博愛」の洗礼を受けた欧州人にとって、「寛容」と「連帯」は彼らのアイデンティティとなってしまったからだ。

その結果、キリスト教の寛容と愛の温床のなかイスラム教信者はその数を増やしていく一方、キリスト信者の脱会は止まらない。数十年後、現在の状況に変化がない限り、オーストリアでもイスラム教の大統領、政権が誕生しても不思議ではない、という予測が出てくるわけだ。

その前兆は既にみられる。来月11日実施されるウィーン市議会選でトルコ系政党が初めて出馬する。議会獲得に必要な5%の壁をクリアするかは不明だが、新党はオーストリア国内のイスラム教徒の結束を訴えているのだ。ロンドンでは12日、難民・移民の受け入れを要求する市民たちのデモが起きている。

北アフリカ・中東諸国から欧州に殺到する難民・移民問題は、少子化に陥った欧州の労働力確保といった楽観的な経済的対応だけでは解決できない。欧州全土の文化的・社会的変革を誘発する時限爆弾を抱えているからだ。欧州諸国の間で難民・移民の公平な分担が難しいのは、一部の政治家の頑迷さが障害となっているからではなく、欧州のイスラム化という悪夢が日々現実味を帯びてきていることに、欧州人の無言の抵抗が潜んでいるからだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年9月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。