小学校は「読み・書き・計算」を学ぶ場所

2015年10月05日 15:04

小学校教諭をしている中沢良平氏が「学校は勉強するところではない」というブログを書いている。

「え?」と思って、読んでみると、中沢氏自身がそう思っているのではない。文科省や各都道府県の教育庁の方針がそうだ、ということのようだ。ブログの次のくだりが示しているように。

学校のカリキュラムは学力向上などまったく興味がない。興味があるのは、集団行動である。……山本七平のいう「日本教の布教」といってもよい。

興味がわいて、中沢氏の過去のブログもいくつか読んでみた。

「教師も迷うよ、通知表のつけ方」「センセイたちの一番の負担-5分ですまない生徒指導よりも大変なこと」「いじめは学校において構造化されている―岩手の中学2年生のいじめ自殺と一教員の見た教室の荒廃―」「Gの世界の「学力観」がLの世界の児童生徒を駆逐する」

多くの点で共感した。中沢氏は「良い先生」である。氏の教育現場での苦労が行間から伝わってくる。

文科省や教育委員会の考えているのは「周囲の空気を読み、その空気に同調する能力の備わった生徒に育ててほしい」ということであり、そこからはずれることのないように、きめ細かく管理することなのである。

重箱の隅をつつくような細かい規則で教師を縛りつけ、そこから外れるようなことが起こったら、すぐに報告書を書かせ、問題点を見つけるという名目で膨大なアンケート調査を教師に実施させて、労働時間をやたらと長引かせる。

そのココロは役所の事なかれ主義、責任逃れ、保身である。責任逃れのアリバイつくりのために膨大な調査を現場に押し付けるのだ。「いじめに関するアンケート調査」は典型的だ。

中沢氏は上からの指示で担当するクラスでこの調査を実施した。「いじめられていると思いますか?」「最近いやなことをされましたか?」といった質問に、「そう思う」から「そう思わない」まで生徒が○をつけるのだ。

それをそのまま集計担当の児童指導専任にわたすと、しばらくして指導専任は「中沢先生のクラスはどうなっているんですか?」と顔面蒼白で詰め寄ってきた。私のクラスには、いじめが”多発”していることになっているという。アンケートに「ちょっとでもいやな思いをしているといじめの心配があるので正直に書いてください」みたいに書いてあるので、子どもたちは日常生活のちょっとしたいやなことを思い出して、”正直”に書いた結果なのだ。

中沢氏は「深刻ないじめがあるクラスではないことはわかっていたので、小さいいざこざが把握できてよかったと思った」。

ところが、指導主任は「こんな結果を上にあげたら大変なことになる」という。で、「いじめられていると思う」にチェックした子どもを校長室に呼び「いじめられていない」という言質をとった。

<アンケートを書かせる前段階での担任の対応は、「よく考えて、よほどのことがないかぎり『いじめられている』にはチェックしないように」と事前指導するのが正解だそうである。>

臭い物にフタである。「いじめがない」ことにするアリバイ証明をしている。これではいじめを把握できず、適切な対応がとれないではないか。

くだらぬ規制を撤廃し、原則として現場の教師の指導を尊重するのが正しい教育のあり方だ。私は文科省や教育委員会などは大幅に権限を縮小すべきだと思う。

現場に権限を委譲すれば、責任も発生する。その結果、いじめ自殺が発生すれば、辞任、俸給削減などの責任をとってもらうしかない。

そんなに厳しくすれば教師が萎縮するし、かわいそうだという声があることは重々、承知している。だから、「敗者復活」の余地も残す必要がある。そのサジ加減が難しいのだが、今回、この点はここまでにしたい。

本論に戻すと、当たり前のようだが、小学校は読み、書き、計算(算数)を教える所だ、と言いたい。教師の役割の大半はそこに尽きる。私は学校教育で最も大切なのは小学校、中でも1-3年生の低学年にあると思っている。

この段階で仮名や漢字の読み書きを覚え、加減乗除を学べば、生活能力が多いに高まる。買い物に行って590円の商品を買い、1000円を渡すとお釣りが410円だとわかる。毎月の小遣いを何か月分貯めれば、求める玩具が変えるかもわかる。そして、本やテレビの文字、街中の看板や標識の書いてあることも読めるようになる。

子供にとって自分の知識とできることの範囲が広がる。それが楽しく、さらなる学習意欲をかき立てる。教師の使命と教育の醍醐味はそこにあるのではないか。

中沢氏は「三角形の面積の求め方」を生徒に考えさせる学習について、現在の学習指導要領に疑問符をつけており、概ね納得できる。重要なのは三角形の面性が底辺×高さ割る2であることを脳裏に刻み込ませることだろう。その理由を長方形の半分だからだ、と納得させることも大事だが、三角形の面積計算を覚えこませることが何よりも大事だ。

小学校低学年では掛け算の九九など頭から覚えることの方が多いのだ。なぜか。社会に出て役立つ知識を習得させ、社会で生きる力を養うことが最大の目的だからだ。

生き抜く力には体育や情操教育もある。歩く、走る、飛ぶ、泳ぐ能力。クラシック音楽や童謡、民謡、名画、古典の文章の美しさを伝え、歌ったり、描画したり作文する能力も養う。

だれもが身に着けなければならないことを脳裏と身体に刻み込ませる。それらは個性教育ではない。画一教育だ。個性教育はその後の仕事である。というより画一教育を身に着ける過程で子供は自分好みの歌や絵画や文章を発見し、自分で創るようになって行く。教師や親はその自然の動きを大事にすれば良いのである。

画一教育は同調圧力でもあるが、それは子供が社会で生きて行くうえで必要なことだろう。「青信号で進み、赤信号で止まる」と交通ルールの学習が不可欠なように。

だから、挨拶の仕方など、しつけも大事で、その役割は第一に親にあるが、補足する形で学校でのしつけも必要だろう。以上は中沢氏も「同調圧力だ」とは言わないと思う。

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