学校は、要らない

2015年10月17日 18:00

現場で働く教員として、井上晃宏さんの「こどもの教育が一条校である必要はない」は、ひじょうに納得がいく。少年保育園となってしまった学校現場と、実社会からの期待の乖離が甚だしくなってしまったということだと思う。
note

学校に一日もいかなくても卒業できる
インターに行く場合、自分の通うはずだった学校に籍をおき、学校にはこない。このようなことは今ではめずらしくないので、学校制度はすでに形骸化している。それは歓迎すべきことで、教育機関はもっとインターのように多様性があっていい。また、公立学校にも留年という制度は理屈の上ではあるが、保護者とのトラブルをさけるために、一日もこなくても卒業証書をわたしてしまう(それがまた感動の卒業証書授与式みたいに語られていたりする)。このため、本人と家庭にその気があれば、学校に通わなくてもなんら制度上の障害はない(義務教育期間なら企業に問われることもないだろう)。もし家庭で教育できれば、それに越したことはない。図書館やインターネットが発達しているので、学校に行かなくても、親が適切に教えれば、基礎的な学問は十分学べる時代である。ひとりでやれば30分もかからないことを、学校では一日かけて教えているのだ。

かりにいじめの対象になってしまった場合、学校に改善する力量がなければ、可及速やかに不登校をおすすめする。学校側としては、「いじめと不登校」という教育委員会から「出してはいけない」とされる子どもを同時に出したことに慌てふためくであろうが、そんなことは子どもや家庭には関係ない。それよりも、学校の解決能力はあまり高くないと考えたほうが現実的だろう。そして、学校には改善されれば登校すると告げればよいのである。子どもを守るために英断してほしい。

学校でないと身につかないこと
・勉強、学力 ・集団活動(に付随した精神的な成熟) ・情操教育
・・・などがそれにあたると思うが、どれもあまり機能していない。
勉強は「問題解決学習」のおかげで、以前にもまして塾には絶対に勝てない状況になってしまった(そのアンチテーゼで百ます計算なんかが一世を風びした。が、安直だった)。
集団活動に関しても、それによって、「空気を読む」ことに多少は長けるようになるが、そのような労働者は大企業以外ではもはやあまり必要ないのではないだろうか。そして確実によい意味での個性もつぶす。
情操教育も、美術や音楽、道徳の時間が考えられるが、学校でのそれが人生を豊かにできていたという人は少ないのではないだろうか。

ただし学校にも存在意義がある(かもしれない)
それは無償の少年保育園としての役割である。お母さんは、子どもに家にいられると、世間的にも、対子どもストレスとしても、きびしいものがあるだろう。だから、お母さんのために預かる施設、と割り切ることである。この場合、「10段ピラミッド」など言語道断で、安全第一で過ごしてもらえるように、教師の第一の役割は、工場や建設現場の監督者と同じように「安全管理第一」でいいと思う。企業も(たてまえでは)「利益よりも工期よりも安全!」と謳っている現場は多いので、それをみならってはどうだろうか。子どもの管理に特化するのである。集団行動は社会の安定性という意味では教えてもよいが、勉強はその地域の実情にあった塾に、体育はプロのインストラクターに、美術や音楽も技法に習熟した専門家に外注すれば、効率的ではないだろうか。

現行の公立学校でできないこと、でもすべきこと 能力別学級編成
ちきりんさんの「下から7割の人のための理科&算数教育」は、やっている学校もなきにしろあらずだとと思うが、これは「競争主義」という観点から教師からは忌み嫌われているだろう。日教組系の教育学者からは、能力別にしたほうが学力は下がるという意見もだされている。これは、第三者機関などの厳正なアチーブメントテストを行い、その単位が定着したかどうか認定することを提案したい。(ちなみに小学6年生全員が受ける「全国学力状況調査」はそれになっていない。学校では教えてないPISA型の問題を出題しているから!)そうしないと、いちばんの悲劇は、その子どもである。とくに算数のような教科は、前提となる前学年までの単元が定着していないと、当該学年の単位など理解不能である。しかし、日本の学校は留年をさせないので、一度おくれると、当人か保護者によほどの危機感が芽生えないかぎりキャッチアップは難しい。国語もしかりだ。だが、各教科ごとの進級にすれば、在籍はホームルーム教室のような形で、留年とはいえない制度にできるのではないだろうか。(給与も下げる代わりに、教員一人ひとりの負担を減らし、教員の人数をもっと確保すればいいと思う)。

教育の堕落は「日教組」の陰謀か
たしかに、日教組の果たした役割も小さくないが、主犯はやはり文科省だろう。政策は彼らが決めている。日教組の思想が文科省をとりこんだというより、文科省の官僚はもともと左寄りなのだと思う。今となっては、文科省が過ちを認めて方針転換をしてくれないと、状況はますます混沌としていく。逆に言えば、教員はサラリーマンになっているので、上さえ変われば現場は劇的に変わるだろう。文科省には、「教育の目的」をもういちど吟味してほしいと思う。(ちなみに教育基本法第一条は教育の目的で、「人格の完成」である。個人的には「経済的自立」くらいが妥当だと思うのだが。)

このようにいろいろなことが絡まりあって、学校は機能不全を起こしている。お子さんが登校を渋ったら、前向きに「学校に行かない」という選択肢も検討してみてはいかがだろうか。

中沢 良平(小学校教諭)
中沢 良平ブログ

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑