学校の存在意義がわからなくなった教師の話

2015年10月25日 17:00

松本孝之さんの「学校に通わないと決断した親子の話」は、現場の人間として、考えさせられます。

つまり学校に通っていないと集団生活ができず周りに溶け込まないとか、職につけないといったことはないのです。

既存の学校に通って唯一できることは思い出作りくらいしかない、とも言えるのではないでしょうか。

ということになると、ますます学校の存在意義はあやしくなってきます。

koumon

ネットで予習してくる子どもたち
一部にネットの動画で予習してくる子どもがいます。さいきんネット上に上がっている動画は、かなりのクオリティで説明がうまいです。どうひいき目に見ても、ふつうの教師では歯が立たない(しかも学校は、問題解決学習というハンディも背負っています)です。教え方がうまくない教師の話につきあう必要があるのでしょうか。

学校が機能不全になっている
小学校低学年の授業は易しいと思っている人がいます。それは現場を知らない人の誤解です。たとえば、ひらがなや数字を書かせても、「鏡文字」にしてしまったりします。これが、高校生になっても直らない。だから、小学校低学年の授業はとても大切で、手を抜けない。けっして易しくはないのです。ただ、家庭で最低限の躾をしてもらえず、そこが学校にまかせっきりになってしまえば、授業を円滑におこなえません。今のように歩き回っている子どもがいる教室では、教師が細かい字の間違いを直して回ることはできません。家庭で最低限のことをやってから、学校にこないと、教室は崩壊します。最近は、注意すると教師に殴りかかってくる子どももいるくらいです。このように、学校は機能不全を起こしているのです。

学校に行くこと自体がリスクになる
教室は、平和ではありません。陰湿ないじめもあれば、学級崩壊、教師からの過剰な圧迫、危険な体育の授業もあります。しかも同調圧力が強く、その中に入ってしまえば個別の活動は断れません。もしかしたら、こういった経験をしないほうが、社会や大人に不信感を抱かずに、社会に適合できるのではないかと思ってしまいます。

なぜ学校に行くのか -みんながいくから
では、なぜ行くのか。それはみんなが行っているからという横並び意識でしかないと思います。ここまで教育現場が劣化してしまえば、行くこと自体がリスクになってしまっているかもしれない。学校に丸投げするのではなく、こういった認識をもって、お子さんを学校におくりだしてもいいのではないでしょうか。

学校は制度疲労をおこしていて、それは文科省や日教組の権力闘争などをやっている間に、現場はとおくへいってしまいました。もういちど、足元の教育現場から見直してほしいと思います。

中沢 良平(小学校教諭)
中沢 良平ブログ

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