「波乱万丈」とは田中清玄にこそふさわしい

2015年11月13日 10:41

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「田中清玄自伝(ちくま文庫)」は無類におもしろい。自伝文学の傑作と言えば「福翁自伝(福沢諭吉)」があるが劇的なおもしろさにおいては遥かに優る。この頃「波乱万丈」が安易に使われるが、「波乱万丈」とは田中清玄にこそふさわしい。

田中清玄と言っても、今は知る人も少ないと思うのでごく簡単な年譜を挙げておく。  

明治39年(昭和6年)函館で出生。父は逓信局勤務。元々会津藩筆頭家老の家柄。 
昭和5(1930年24歳)年日本共産党書記長に就任、同年母ヒデが清玄を諌めるため自殺 同年治安維持法違犯で逮捕。無期懲役の判決。 
昭和8年(1933年27歳)小宮山ヒデと獄中結婚(ヒデも同じく獄中) 
昭和9年(1934年28歳)獄中で転向声明 
昭和16年(1941年35歳)紀元2600年の恩赦で出獄。同年龍澤寺に入門。山本玄峰に師事。 
昭和20年(1945年39歳のち三幸建設となる神中組)設立。三幸建設は戦後の復興工事、沖縄での米軍の仕事などで成功する。同年敗戦後昭和天皇に拝謁。

昭和35年安保騒動で全学連反日共系を金銭面で支持。日本のエネルギー自立を目指しアジア、中東で石油資源確保に奔走。右翼の大物とみなされる。
日本人としては二人しかいない(当時)ロンドンのロイズ会員。
経済学者ハイエクのノーベル賞記念パーティでメインテーブルに座らされた唯一の日本人。

この本を理解する上での基礎知識を以下にあげておく。 

戊辰戦争で賊軍とされた会津の恨みがいかに深かったかは、例えば昭和天皇のすぐ下の弟秩父の宮妃に会津松平家の勢津子が決まった時、これで賊軍の汚名が晴らされたと泣いて喜んだというエピソードからもうかがえる。

戦前は治安維持法によって共産主義思想をもっているだけの理由で死刑もありえた。

戦前世界共産主義運動の中心はモスクワであって、コミンテルンを通じて中国共産党はじめ各国共産党に指令を出していた。日本共産党はコミンテルンから資金提供も受けていた。スターリンは世界の共産主義者にとって神であった。  

戦後、世界の石油はアメリカのメジャーが支配していたので、エネルギー自立を目指すことは反米を意味する。

以上の諸点を頭に入れておくことは本書の理解に役立つであろう。 

なお田中はECの進展に触発されて晩年アジア連盟構想をいだくようになるが、それは所詮かなわぬ夢だと思う。
ヨーロッパには共通の文明の基盤がある。ギリシャ・ローマ文明、ラテン語、キリスト教など。
それに比べて東アジアにはなにがある?日中韓三国に限れば、漢字は共通であるが日本語と中国語は基本的には別個の言語である。儒教はどうか。比較的儒教文化を残しているのは韓国であり、それが縁故主義の温床となっている。

互いに違うことを認めて「アジアは一つ(岡倉天心)」や「東亜連盟(石原莞爾)」などの幻想はもたない方がいい。鳩山由紀夫の東アジア共同体論に至っては歴史を知らず今の現実も知らない痴人のたわ言だ。中国も韓国も、それが自分の利益になる時だけ日本にすりよる傾向がある。

戦前日本近代史の悲劇は、東アジア幻想の破綻の歴史と言えるかもしれない。最も早くこの幻想から醒めたのが福沢諭吉(「脱亜論」等)。

特に印象的部分の一部を抜粋してみることにする。昭和史を彩る著名な人物が続々登場する。以下本書からの引用

(コミンテルンは1927年福本イズムを批判するためモスクワに日本共産党の指導者を集めて会議を開いた。以下はその会議の様子)

福本はコテンパンにやられて言葉もない。日本人同士を議論させたんです。高橋(貞樹)が急先鋒で一番強烈に福本を批判した。福本イズムに立つのは福本と徳田だけでした。それでいっぺんに福本はひっくりかえって自説撤回だ。この時におもしろいのは、最後の批判会であれほど福本を礼賛していた徳田が「おれは福本によって迷惑しているんだ。福本の欠点は前からわかっていた。しかし福本は中々自説を撤回しないから、俺がだましてモスクワに連れてきたんだ。」とぬかして、そのあげく福本をなぐるだか蹴るだかしたんだな。 渡辺政之助は自分も福本イズムだったからそれまでだまって聞いていたが、これを見て『この野郎、貴様みたいな裏切り者があるか。いままでさんざん福本をかつぎあげてきたのはお前じゃないか』といきなり徳田を殴り倒した(P37)」。

筆者注:田中が戦前の日共指導者で認めているのはこの渡辺政之助くらいで、徳田や野坂参三はまったくかっていない。 延安時代の野坂を知る中国共産党の人たちも戦後日本で野坂があんなにえらくなったのを不思議がっていたという。

(敗戦の年12月に昭和天皇と会った時の会話)
私は『陛下は昭和16年12月8日の開戦に反対であったと伺っております。どうしてあの戦争をおとめになれなかったのですか』。一番肝心な点ですからね。そしたら言下に『自分は立憲君主であって、専制君主ではない。憲法の規定もそうだ』(P140)」。

筆者注:多分この問を昭和天皇に直接ぶつけたのは田中だけではないか。この時の陛下の答えは「昭和天皇独白録」でも述べられている。だが天皇は即位当初は天皇親政をめざしていた節がある。

(安保騒動の時) 
全学連といったって、最初はただわぁーと集まってくるだけで戦い方を知らない。それでこっちは空手の連中を集めて突き、蹴るの基本から訓練だ。ぼくの秘書だった藤本勇君が日大空手部のキャプテンで何度も全国制覇を成し遂げた実績をもっていた。彼をボスにして軽井沢あたりで訓練させたんだ。藤本君がデモに行くと一人で十人くらい軽く投げ飛ばしてしまうんだ。「おまえは右翼のくせに左翼に加担してなんだ」なんて大分言われたが、「なに言ってやがる、てめえ達は岸(信介)や児玉(誉志夫)の手先じゃねえか(P165)」。

筆者注:この時同じ右翼が右翼を攻撃したとして話題になったが、田中からすれば「反米、反日共、反岸、反児玉」という点で彼ら全学連と立場は同じであった。

本書は、松岡正剛も書評サイト「千夜千冊」で取り上げているので参照されたい。

青木亮

英語中国語翻訳者

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