自修自得す:激動の今こそ、ぐらつかない「恒心」を持て

株式会社経済界より『自修自得す』という本を上梓しました。一昨日25日から全国書店にて発売が開始されています。本書は8年前の4月より書き続けているブログ「北尾吉孝日記」の再構成として、08年9月出版の第1巻『時局を洞察する』から数えて8巻目に当たります。


今回の「はじめに」には、正に昨年の今日記したブログ『孝は百行の本』をピックアップしました。政治も経済も重要ですが、一番大本で大切な存在は、それらを動かす人間であります。その人間の為す事柄のうち今日特に欠けているのが、私は「孝」ではないかと考えて巻頭に此のブログを掲載した次第です。

そしてそれと共に下記の通り、仏教の『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』のお釈迦様の御説法の一部を、現代語訳で御紹介しておきました。お釈迦様は父母の恩徳につき、次の十種あるとされておられます。

  ~第一は、子どもを身ごもったと知るや、母は腹の中の子どもを大切に守護しつづけた。その恩である。第二に、出産のとき、母は激しい苦しみに堪えた。その恩である。第三に、母は子どもを身ごもっている間の苦しみも、生まれるときの苦しみも、出産と共に忘れてくれた。その恩である。第四に、母は一八〇石(三万二四〇〇リットル)もの乳を飲ませて育ててくれた。その恩である。第五に、子どもが大小便をもらしてふとんをぬらしても、父や母は乾いたところを子どもにゆずり、ぬれたところに寝てくれた。その恩である。第六に、子どもの大小便・不浄物を、けがれたものとも思わず喜んで洗い流してくれた。その恩である。第七に、食事ともなれば、父母は自分たちより先に子どもに食べさせた。また、苦いものは父母が食べ、甘くておいしいものを子どもに食べさせた。その恩である。第八に、わが子を育てあげたい一念から、時には恐ろしい罪を造るかもしれないのに、悪行をもいとわなかった父であり母である。その恩である。第九に、いつなんどき、どこにいても、父母は子どもから離れずに子どもを見守り、遠くへ行ったときは子どもの安全を祈りつづけてくれた。その恩である。第十に、自分たちが生きている間は子どもの苦しみを代わってやりたいと思い、この世を去れば、子どもを守護してやろうとする父母なのだ。その恩である。~

之を読まれた多くの方は、父母の恩がどこまでも深く重く限りないものだ、と良く御分りになりましょう。

21世紀に入って15年が経過しましたが、いよいよ正しく生きるに難しい時代になったものと観じます。リーダーの在り方も企業経営も、そして一人の人間としての生き方・心の持ち方も、もう一度その在り方を問い直すべき時に来ているのではないかと思います。

私がこれまで学んだ中国古典を中心に先哲の考え方には、自らを維新するための教えや時代を開く鍵があり、本書でも大いに考えるヒントとして活用しているところです。そうした観点で現代的諸問題を考察し、時局や時代を認識して自ら解釈を加え行く評論は、近年余り見かけなくなったように思われます。御一読賜れば幸甚です。

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