自分が、政治家が、最後まで信じなくてはいけないもの

2016年01月01日 00:00

こんばんは、おときた駿@ブロガー都議会議員(北区選出)です。
12月は政局の季節です。来年には国政選挙があることもあり、色々な選挙戦略・党利党略が聞こえてきます。


その中でどうしても、私がスッと許容できないのが、

「有権者なんて、どうせそこまで見ていない」
「選挙のためには、○○という風に見せておけば良いんだ」

といった類の意見です。
もちろん、軽減税率が世論調査で7割近くの支持を受けているなど、国民の刹那的な判断に対して疑義を唱えたいことは沢山あります。ホント。

それでもね、われわれ政治家が、有権者を突き放すよう結論は出してはいけないと思うのです。

私がいま議員という立場であり、一定の行動が許可されているのは、1万人以上の方に「おときた駿」と名前を書いてもらい、議会に送り出してもらったからに他なりません。

この敢然とした事実を時として、政治家・議員は忘れがちなのだと思います。
いったい、どこの誰が、自分自身に力を与えてくれるのでしょうか。

政策も理念もわからない、ただ単に「顔を知ってる」から入れてくれる…そんな有権者たちによって自分の立場があるのならば、それはとても虚しいことではないでしょうか。

まだ議員ではない新人ならまだしも、すでに現職の議員だったら、その責任はなおさら重大です。

「国民はわかってくれない」

と嘆くくらいであれば、何よりも自分たちの情報発信力の弱さを悔やむべきです。

仮に有権者たちが誤った決断を下すのだとすれば、ただ「知らない」からなのだからと、啓蒙に力を注ぐべきです。

「選挙に受かった後に、××すれば良い」

という考え方も同様にまた、納得することができません。
国民が政治家に対して明確に判断を下せる機会は選挙だけであり、これではその場だけを乗り切った後、欺くことになるからです。

私自身が政治家として、政治の嫌な側面を死ぬほど見てきて、ドブ板ばかりをする大物議員たちが絶大な権力を振るう現状に希望を捨てそうになったことは多々あります。

それでも、諦めたくないんです。

有権者を、自分を選んでくれる人々を諦めたら、いったいなにが政治なんでしょうか。
民主主義を選んだ意味って一体、何なんでしょうか。

だからこそ私は、愚直に情報発信を続けているのかもしれません。
すべての人が十分な知識を共有した上で、適切な判断を下していくこと。
道のりは遥か遠くても、それがきっと理想の政治のあり方だから。

政策・理念・信条…
われわれ政治の世界で、「一票にもならない」と言われている部分こそに、何らかの核心があるし、そうであって欲しい。

たぶんアホでどうしようもないと思うんですが、私はそんな風に思っています。

年末なのでね。脈絡もなくこんな話しを書きたくなりました。
それでは、また明日。

おときた駿 プロフィール
東京都議会議員(北区選出)/北区出身 31歳
1983年生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトングループで7年間のビジネス経験を経て、現在東京都議会議員一期目。ネットを中心に積極的な情報発信を行い、地方議員トップブロガーとして活動中。

twitter @otokita
Facebook おときた駿

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おときた 駿
東京都議会議員(北区選出、無所属)

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