文系卒が、それでも実学としてビジネスで役立つ理由 --- 野口 俊晴

2016年01月14日 06:00

bunkei

■社会的要請に応えられない文系?
文学や哲学が社会に出てすぐ役立つものではない、ということは大抵の人がわかっています。学者や研究者として大学に残るのでなければ、そういう学部生が就職しても、文部科学省のいう「社会的要請」に即応えられるとは思えません。簿記のボ、法律のホの字でも勉強したほうがよほど会社で役立つでしょう。

ここで文科省の「社会的要請」というのは、昨年6月に国立大向けに出した通知文が「人文・社会科学系学部の軽視・廃止」だと猛反発を呼び起こし、文科省が慌てて出した釈明通知に出ています(「新時代を見据えた国立大学改革」)。今さら蒸し返すつもりはありませんが、人文・社会科学系学部が実学として役立つかということについて改めて考えてみたいと思います。

■実学論と教養論では所詮かみ合わない
釈明通知文のわかりにくい文章を読むと、「廃止論」は誤解であるように何とか読めなくもありません。元国語教員の馳浩大臣も、この国語力に「32点」と評したくらいで、人文系学部の廃止論ともとれた役人の文章そのものが人文系の訓練が必要ではないか、ということを露呈しました。

文科省の真意はともかく、世間一般には人文・社会科学系よりは、科学技術に貢献できる理工系のほうを実学として重んじるのは自然でしょう。それが痛いほどわかっているからこそ、特に人文系の大学関係者は、躍起となって「教養論」(人間形成のためには大学での人文教養は必要)をもって対抗したわけです。文科省の実学を重視する「実学論」と大学側の「教養論」では最初からかみ合わないのは当たり前です。

■人文系だけでは社会に通用しないのか?
私の大学時代の文系の講義は、まったくの教養中心で、その程度の内容なら1冊の新書本を読めば足りました。実際、それで卒業しても社会では通用しないので、文系卒の学生は浪人して公認会計士や税理士試験、司法試験に挑戦する者もいたくらいです。そういう意味では、会計や法律、金融系の専門職の基礎にあたる分野は、少なくとも実学となっていたわけです。

現在、私の関わるファイナンシャル・プランナー(FP)のビジネスからみても、金融、社会保障、保険、不動産、税金、相続、法律などの人文・社会科学系知識は実学に即しているといえますが、それらの実学的知識が十分に大学教育で浸透しているわけではありません。大企業の優秀な社員でも、自分の源泉徴収票を読み取れない人もいますし、本人が入っている保険証券の内容を理解できない人もいます。これは能力的な問題ではなく、それを熟知していなくても困ることがなかったからです。

これからの時代は、老後生活も含めた長い人生設計を自分で作っていかなければなりません。そういう意味では、人文・社会科学系分野は実学としてこれからもっと必要になるはずです。ただし、大学の講義が狭小的でかつ閉鎖的に旧い教養・教義に固執している限り、現在実学といえる分野でも、すぐに不要論に取って代わられることになるでしょう。

例えば、金融関連分野では、従来の金融理論に対して行動経済学に基づく新しいファイナンス理論が出ています。投資家を合理的な意識存在として捉えるのではなく、非合理的な意識存在として捉えることで、新しい投資行動を説明しています。この考えにより、すぐに従来のファイナンス理論に取って代わることではないにしても、将来の個人の長い人生設計の方向性に少なからぬ影響が出てくるでしょう。しかるに金融教育の現場では、依然として旧来の金融理論が中心なのです。

■文学・哲学を実学として活かすには
問題は、文学・哲学です。繰り返しますが、それらを学んだからといってすぐに社会で役立つとは限りません。大学に実学のみが求められるなら、教養としての人文系は不要です。しかし、若い時の旺盛な知識欲を満たすためには、文学や哲学を学ぶことは役立つはずです。知的な欲求は、満たすべき時に満たされないと、その後の人生は時に奇妙なひずみを起こしかねません。また、目の前の事象だけを解決することに躍起になり、将来起こりうる事態を想定して対処することができなくなるおそれもあります。

文学は想像力を、哲学は思索力を鍛えます。それは事実を見て思索し、想像力で事実を超え、新たな何かを創る力のことです。であれば、現実の問題を未来に向かって超えうる力は、実学としてビジネスに十分役立つわけです。作家になるとか、記者や編集者など文章に関わる職業に就くことだけを言っているのではありません。ビジネスには想像力と思索力が必要だということです。それは、知識偏重の能力だけでは限界が来ているということで、今さら言うほどのことではないのです。

そういう面で私は、文学・哲学が根本的にビジネスに役立たないものだとは思わないという考えです。ただし、そのためには文学や哲学にも新しい価値観への転換が必要です。先ほど述べた、従来のファイナンス理論から新しい行動ファイナンスへの転換が見られるように、文学や哲学にも新しい価値観が必要になってくるでしょう。それが、どのようなものであるか。1つのヒントとして、ノーベル賞のことに触れておきたいと思います。

■ノーベル賞に文学賞があるわけ
ここ数年、日本人のノーベル賞受賞が相次いでいます。それも、物理学、化学、生理・医学の自然科学分野です。まさか文科省は、将来も自然科学分野のノーベル賞受賞者をどんどん出そうとして冒頭の通知文を出したわけではないでしょう。しかしこの流れは、文科省が進めている国立大学改革の「社会的要請」の意図に沿う人材を育てるという目標にも合致すると勘繰りたくなります。

ノーベル文学賞については、ほかの自然科学分野の賞に比べ明らかに性質が異なります。文学は、客観的な功績という面でいえば、どうしても曖昧性が残ります。なぜ、ノーベルは文学賞を創ろうとしたのか? その答えは単純です。ノーベルは、文学をこよなく愛していたからです。彼はノーベル賞の構想時から、自然科学だけでなく人文系(当初は哲学も文学賞の対象であった)も人類にとって重要であると認識していたのです。

確かに自然科学は、人類の文明に直接的な功績を残します。しかし、それだけであったら、そして文学という人生の営みを追体験するものがなかったら、この世界がいかに味気ないものかノーベルは知っていたのです。文学や哲学といったものは、実学として直接かつ即、社会的要請に応えられるものではないかもしれません。ただ人間は、この世界が科学技術の発達だけで成り立っていたとしたら、とても息苦しく、もっと悲惨な歴史を生きてきたでしょう。

文学・哲学のない科学技術の発達は、ひょっとしたら誤った方向に向いていたかもしれません。それはちょうど、ノーベル自身がダイナマイトの発明により、文明を破壊する「死の商人」と呼ばれたことを恐れたように―。文学・哲学にそんな大層な力があるとは言えませんが、新しい価値観によって長い視野で見れば、ちゃんと自然科学と調和をとり、実学に適っていると思えるのです。、

【参考記事】
■「宵越しのお金」が持てれば、老後の人生は変わる 野口俊晴
http://sharescafe.net/47053876-20151202.html
■野球賭博は他人ごとではない 人がギャンブル的投資に走るワケ  野口俊晴 
http://sharescafe.net/46739709-20151102.html
■損が出た時に対処するお金と恋愛の投資心理学  野口俊晴
http://sharescafe.net/46399715-20150929.html
■老後資金づくりでハマる心理的な罠  野口俊晴
http://www.tfics.jp/ブログ-new-street/
■目先の損得にとらわれない これからの年金、早くもらう方法と多くもらう方法  野口俊晴
http://sharescafe.net/41566040-20141026.html

野口俊晴 ファイナンシャル・プランナー  TFICS(ティーフィクス)代表


この記事は「シェアーズカフェ・オンライン」2016年1月13日のエントリーより転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はシェアーズカフェ・オンラインをご覧ください。

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑