大相撲の遠藤を公傷扱いにするのは不公平だろうか

2016年01月18日 03:26

遠藤が初場所7日目から休場した。やれやれ・・、というのが実感である。彼はもっと早く且つ徹底的に休むべきだったのだ。遠いイタリアで大相撲の衛星放送を見つつ考えている。

人気、実力ともに快進撃、登り調子一辺倒だった遠藤は、昨年春場所の5日目、松鳳山との一番で左膝に大ケガを負い、休場を余儀なくされた。

ケガは全治2カ月の重症だった。従って次の夏場所も休場するのが普通である。しかし番付が幕尻近くだった遠藤は、そこで休めば十両陥落は間違いないという瀬戸際にいた。

そこで彼は夏場所も出場して、6勝9敗の情けない成績ながらかろうじて幕内に留まることに成功した。そして次の名古屋場所、秋場所を連続して勝ち越した。

だがケガをじっくりと治さないことがたたって、傷は場所ごとに悪化。一年最後の九州場所では、ほとんど相撲が取れず無気力相撲にも近いパフォーマンスになった。

当然番付けも下がった。昨年九州場所では4勝11敗と大負け。今年に入って休場するかと思っていたら、やはり出場して無残な戦いを見せた。挙句の休場である。

遠藤はおそらく来場所は十両落ちだろう。そこで出場してもケガのために思うように勝てず、あるいは治癒するために休場しても番付けは落ち続け、ついには引退の危機さえ待っている。

休めば降格の地獄、ケガを押して出場しても、勝てないという地獄。四面楚歌の中で一番つらい思いをしているのは当の遠藤に違いない。

が、相撲を取れる状態ではない体の彼が土俵に上がっているのを見る者もつらい。特に遠藤ファンにとってはそうだ。そして僕は遠藤ファンである。そこを明言した上で話したい。

大相撲の人気が戻った。大人気と言っても構わないだろう。昨年は1月場所から4場所連続して《連日満員御礼》になった。それは若貴ブームで沸いた90年代以来の出来事である。

しかも大相撲のファンは、60代以上の男性を筆頭に男が主だったが、最近は若い女性ファンも増えている。このブームを作っている最大の要因が遠藤だ、という見方もある。

休場すれば情け容赦なく番付が下がること以外に、遠藤人気で客の入りが良いため相撲協会も彼を出場させたい。そうした暗黙のプレッシャーもかかっていて、遠藤は休場に踏み切れないのだろう。

遠藤がケガを押して土俵に上がっている姿は、ストイックな雰囲気をかもし出していて、初めは見る者を感動させさえした。痛む素振りをみせないことがさらにその印象に拍車をかけた。

しかし、勝てない彼に人々はやがて疑問を持ち始める。負けっぱなしのプロは変だ、と感じ始めたのだ。痛みを堪えて出場して勝つからこそファンは喜ぶのだ。

人々の同情は疑問になり、連日負けても土俵に上がる姿に目をそむける者も出始めた。負け続けの彼のパフォーマンスは、前述したように無気力相撲のようにさえ見えることがあった。

それは時には見苦しくさえあった。いい相撲、面白い相撲を期待しているファンの気持ちに応えようとするよりも、自分の番付を守りたい気持ちだけが透けて見えたからだ。

ファンのそんな気持ちが募りだしたころ、遠藤は休場を決めた。遅きに失したほどに遅かったが良い判断だった。しっかり休んでケガを完治させるべきだ。

それにしても、ケガで休場しても番付けが下がる今の大相撲の規定では、本人が出場したいと言い張るのも理解できる。そろそろ公傷制度を復活させるべきではないか。

公傷制度とは、横綱以外の力士が、本場所の土俵でケガをして翌場所を休場しても番付けが下がらない、というルールである。それは1972年に導入された。

ところが、公傷制度はある意味で悪用されて、ケガをした力士が頻繁に本場所を全休するようになった。紆余曲折を経てその制度は2003年に廃止された。

公傷制度の多用はもちろん言語道断である。しかし、将来有望な力士がケガを治せないままずるずると番付を下げて、ついには力士生命を終えるような事態は避けた方がいいのではないか。

遠藤は鍛えに鍛えて、体の芯に鋼のような硬さを持つぶつかりと立会いができるようになれば、昭和46年に現役横綱のまま亡くなった玉の海の域に近づける才能がある力士だ、と個人的には思う。

相撲協会には「ケガをすること自体が力士の怠慢」という古くからの考えもある。そのことと、ケガを押して土俵に上がっても痛い振りを見せない遠藤の姿に潔(いさぎよ)さを見る、日本人の心情は得がたいものだ。

だがそうした「美学」は、美学が往々にしてそうであるように理不尽な側面を持つ。怠慢どころか自らを厳しく律していても力士はケガをする。

また痛みをこらえて土俵に上がっていればケガは悪化する。もちろん動きながら治す、というケガもスポーツの場合は多い。しかし重症のケースではやはり休んで治療をするべきだ。

遠藤はこの先たとえ幕下まで落ちても、同じ境遇で這い上がった幕内現役の栃ノ心や阿夢露と同じ精神的強さがある、と信じたい。が、そのまま消えてしまう可能性がないとは誰にも言えない。

そんなことになっては寂しい。寂しいだけではなく相撲協会にとってもファンにとっても大きな損失である。審査基準を厳しくし罰則などもうまく使いながら、大相撲はそろそろ公傷制度の復活も考えるべきである。

仲宗根雅則
テレビ屋
イタリア在住

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