学校は いじめを防げないし 解決できない

2016年02月19日 19:36

神戸市がいじめを100%解決したと宣言してそれに対して疑義が呈されている。役人という人たちはなんと思いきった見切り発車をするのかと感嘆する。

現場にいれば、いじめはぜったいに解決できない構造になっていることを、まざまざと見せつけられる。

たとえば、いじめ対策としてはこれが最大限と思われる対応がある。長野県の中学校の先生が実践されているいじめ対策だ。たしかに、すばらしい。自分もほんとうに見習いたい。しかし、これは”泣き落とし”だろう。ようは加害者の情に訴えて、考えを変えてもらうという実に不安定な解決策しか現場にはないのだ。いじめをルールで解決するという基盤は学校には、ない。しかも、これはどんな学校でも教員でもできるかと言えば、難しいだろう。

教員は、こう教えられている。いかなる場合でも、「”被害者”は善で”加害者”は悪である」と。こう言わないと、教員採用試験ももちろん通らない。採用試験で、「いじめが発生するときには、いじめられる側にもそれなりに問題がある場合が多い」という正否を問う設問が出れば、迷わず×をつけなくてはならない。

しかし、この時点で、致命的なボタンのかけちがいがおきる。”被害者”は、悪いのだ。なぜかというと、”加害者”は馬鹿ではない。むしろ賢い。必ず”被害者”の”悪い”ところをつくからである。”被害者”は遊んでいるときルールを守らない。”被害者”は空気を読まず発言し場をぶち壊す。”被害者”はいつも気持ちのわるいいやなことをしてくる。だから迷惑者なのだ、と。こういった空気を”被害者”以外の大多数の子どもが共有してしまうのだ。

そして、大事になって校長まで関わるようになると、校長は「いじめは、”被害者”はぜったいに悪くありません」という大本営発表しか言えなくなるので、いよいよ事態はこじれる。”加害者”の保護者は、「あちらにも原因の一端があるのに、こちらが100%悪いというんですか!」と。”加害者”の保護者の立場に立てば、あたりまえの反応である。

つまり、現状では、”被害者”には非がないという文科省と教育委員会の理屈から、”加害者”とその保護者がむしろ反発してしまうという事態を生んでいる。

わたしは、保護者に年初からこう伝えている。「いじめにはいろいろな理由があります。”被害者”にも非があります。でも、とにかくいじめをやめていただくこと、それがいちばん大事なことです」と。しっかり話し合えば、伝わることだという感触は、ある。

でも、もし、いじめられたら・・・。「学校には行くな、逃げろ」 としか言いようがないのだ。その点を踏まえて、みなさんには賢く学校と関わってほしいと思います。

アゴラ読者の子育て世代のみなさんには、ご自身の住んでいらっしゃる集合住宅の修繕計画ていどには、学校の環境に関心を持ってほしい、というのが、一教員の切なる願いである。

中沢 良平(小学校教諭)

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