人質救出は国の義務だが優先度に違いはあってよい --- 八幡 和郎

ヌスラ戦線に拘束されているといわれる安田さんについて、国は身代金を払っても解放させるべきだという意見もあれば、勝手に危険地域に行ったのだから放っておけという人もいて世論が二分されている観がある。

しかし、正しい回答は明白だ。たしかに、国家はいかなる悪人であろうが犯罪者であろうが愚か者であろうが国民を保護する義務がある。場合によっては救出のために死者が出る危険を冒しても行動っするべき時がある。国民にとって外国で保護を求めることができる相手は第一義的に国籍を持つ国家である(その意味でも保育園に入れないくらいで「日本死ね」など間違っても国民はいうべきでない)。

ただし、どの程度の努力や犠牲を払っても守るかは、総合的に判断して、払うべき犠牲の程度に差があっても良い。何を犠牲にしても誰にでも同じようにということではない。

たとえば、日本国内から拉致された人のように主権侵害が伴う場合は国家の威信に賭けて取り戻すべきだ。

また、外交官、PKO要員、経済協力要員、公的な人道救援活動従事者、正常なジャーナリストとしての取材など、公的な色彩があるミッションの結果である場合には、全力をあげて救出すべきだし、そうしないと、そういう活動をする人がいなくなってもしまう。

逆にテロリストやその支援者の仲間割れとか、麻薬・武器など正常でない犯罪的活動の結果であるときはもっとも対処の必要は低いし、渡航禁止を破っての入国の結果であるときも自己責任の度合いが高いだろう(ただし程度の問題だということは繰り返し強調したい)。

そのように程度に応じてという原則を認めることが何より大事だと思う。日本人は災害の危険性であれ医療のような問題であれ、どんな問題についてもオールオアナッシングに議論を持って行きすぎる。もっと程度に応じていなやかな気持ちで議論をすれば、極端な不毛の論争をしなくて済むと思う。

shouzou
八幡和郎  評論家・歴史作家。徳島文理大学大学院教授。
滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。通産省大臣官房法令審査委員、通商政策局北西アジア課長、官房情報管理課長などを歴任し、1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書に『歴代総理の通信簿』(PHP文庫)『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』(文春新書)『吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり』(宝島SUGOI文庫)など多数。


編集部より;この原稿は八幡和郎氏のFacebook投稿にご本人が加筆、アゴラに寄稿いただました。心より御礼申し上げます。