誰にも等しく桜が咲く

2016年04月08日 10:45

20160403125903東京では桜が満開ですね。本学でも日曜日に入学式が行われ、私は卒業式に引き続き学科の入学式の司会を務めました。

最近の大学はマメなもので(と教員の私が言うのも変ですが)、入学式後にご父兄にカリキュラムの説明を行ったり、キャンパスの見学会をやったり。

まあまあ満足して頂けたようで一安心です。

桜は綺麗だけれども、誰もが明るい気持ちで4月を迎えているわけではないでしょう。

受験では志望校に落ちて仕方なく入学式を迎えた人も居れば、浪人になってしまった人も居る。

誰にも等しく桜が咲くのは残酷なことかもしれません。

私自身も受験は失敗ばかりで大学受験では浪人も経験しました。

その時はとてもつらかったのですが、今思い出すのはそうやって失敗した時のことや、何とか這い上がって行った時のこと。

順調な時、楽しかった時のことは、案外覚えていません。

浪人などつらかった時は、普通の時の2倍、3倍と時間が長く感じました。

現役で東大の入試に落ちて、合否の結果を見に行った駒場キャンパスの掲示板、胴上げされる合格者、トボトボと駒場東大駅から自宅に戻る間の風景は、今でも良く覚えています。

浪人後に東大に入った後の人生では、周囲には失敗などしたことないような人も居ました。

そういう人の中には、課題には正解があるし、正しいことをやっていれば良い、と思いがちな人も。

大学まではそれで良いかもしれませんが、社会に出ると「正しいこと」が必ずしも一つだけではないし、人によって「正しいこと」が変わってくる。

例えば赤字を垂れ流す不採算事業があったとしても、そうした事業から撤退し、場合によってはリストラすることがその企業にとって「正しい」ことかもしれません。

しかしリストラされる当事者やその家族にとっては、自分がクビになるわけですから「正しくないこと」に逆転する。

リストラにしても、人によって正解は変わるでしょう。

定年まであと数年の人にとっては「不採算事業にしがみつく」のが正解かもしれませんが、この先何十年も頑張らなければいけない若手社員にとっては「不採算事業をさっさとリストラして、成長事業に一刻も早く移る」のが正解かもしれません。

このように社会に出ると、誰にとっても「正しい」と思える正解などそもそも無い問題を解かなければならなし、人は一見「理不尽」な行動もします。

上司に嫌われたらどうにもなりませんし、運に見放されたとしか思えないような時もあります。

必ずしも努力は報われないし、どうしようもない時には「まあこういう時もあるさ」とやり過ごすことも必要なのかもしれません。

受験でもいくら模擬試験で良い点を取っていたとしても、入試の本番で失敗することもある。

私も受験の失敗を通じて人生のある一面を学んだ気がします。

また、スタンフォード大学のMBAに留学した時には、強烈な劣等感を味わいました。

何しろ英語力が同級生の中でもダントツでビリでしたので、とにかく授業で何を言っているかわからない。

内容がわからないから発言もできない。発言できなければ評価が下がり、単位も落とす。

人生で初めて、落ちこぼれて卒業できない恐怖を味わいました。

大学教員となった今となっては、本当のどん底、劣等生の経験をしたというのも、いろいろな学生の気持ちが(多少は)わかるようになる、という意味で良かったのかもしれません。

もちろんその時は、一刻も早くこんな環境から逃げ出したい、という思いばかりでしたが。

不本意な状況で4月を迎えた人は、桜を見て落ち込んだりもするでしょう。

でもそのつらい経験こそが実はかけがえのないものだった、と思える日も来るのでしょう。時間のずれはあってもいつかは誰にも等しく桜は咲く。

そう思えるようになったのは、随分後のことですがね。


編集部より:この投稿は、竹内健・中央大理工学部教授の研究室ブログ「竹内研究室の日記」2016年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「竹内研究室の日記」をご覧ください。

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竹内 健
中央大学理工学部教授

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