熊本城復興に障害はあるか?

2016年04月18日 13:10

重要文化財に指定されている熊本城の一部や阿蘇神社が崩壊して、「永遠に失われた」と思っている人が多い。

しかし、火事で焼失したもの以外は、部材さえ残っていて修復復元されればだいたい指定解除にはならない。阿蘇神社楼門や熊本城の櫓や塀は大丈夫だと思う。

たとえば、終戦直後の福井地震で坂井市にある丸岡城の天守閣は崩壊し、部材の多くは住民が持ち去ったと言われるが、残った部材に新しい部材を付け足して復旧している。

もっとも、それが柴田勝家の養子である勝豊によって建築されたといわれる最古の天守閣にもかからず国宝指定の障害になっているという話も聞いたことがある。その意味では、今回の被災建築に国宝は含まれていないが、国宝は解除されるが重要文化財としては残るというようなこともあり得るのかもしれない。

ちなみに、何らかの理由で移築することも、国宝は原則ダメだが、重要文化財の場合は許されることが多い。

それから、熊本城の復元には何十年もかかると言われるが、21世紀になってから復元されながら崩壊寸前になっている飯田丸五階櫓など文化財としての価値がないものは、もとの工法での復元にこだわるべきでないと思う。そんなことをしていたら、時間もかかって観光にも悪影響があるし、熊本の町の人の復興気分も盛り上がらない。まして、鉄筋コンクリートの天守閣も傷んだから壊して木造でないと再建させないなどと文化庁に言って欲しくない。

城跡が史跡になっている場合、外観復元で十分なものまで無理に在来工法に文化庁はこだわるが、文化財マフィアの利権保護の悪行だ。城の櫓や天守閣など初期のものを除いて単なる城の装飾としての意味しかないのだから、本格木造である意味は僅少だ。それをあえて木造でというのは、仕事としてそれをやりたい人の要請に応えているだけだ。

また、不思議なことだが、失われた文化財の復元にあっては、城についてだけ異常にハードルが高い。滋賀県の安土城天守閣については、かつて西武グループの創業者である堤康次郎が復元を夢見たし、武村正義氏が滋賀県知事のときも話題になったが、図面がないからダメだといわれて、狩野永徳が描いた屏風を織田信長が宣教師に与えたという言い伝えを頼りにバチカンで捜したが成功しなかった。

ところが、図面がないと復元はダメという方針を文化庁が一貫して採用しているのかと言えば、縄文時代の三内丸山遺跡(青森県)には想像力豊かにデタラメな工作物が建てられるし、平城京大極殿や薬師寺の金堂なども図面などないのに壮麗な復元がされている。城に関しては、お城マフィアが図面なしではダメ、木造本格復元しかダメだという方針を通させているのである。だから、名古屋城もいまなら木造しかダメだろうし、大阪城の天守閣は現在のような桃山風の華麗なものでなく江戸時代のものしか復元を許されていないだろう(天守台は江戸時代のものなので)。

また、城跡を県庁など公共建築に使っている場合も、現在の建物を建て替えるときは許さないといわれて老朽建築を使い続けているので、防災拠点としても心配だし、城跡に県庁を置いておく方がおさまりがいいという町の人の意見もはねつけられている。

しかし、その一方で、文部科学省の庁舎は江戸城の遺跡に建てられているし、江戸城の西の丸跡にある皇居でもどんどん新しい建築が立っているのだから、まことに変な地方いじめのダブルスタンダードなのである。


編集部より;この原稿は八幡和郎氏のFacebook投稿にご本人が加筆、アゴラに寄稿いただました。心より御礼申し上げます。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学大学院教授

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