「ヤンキーの虎」だけではなく「人類」が育つ環境が大事

渡瀬 裕哉

最近流行りの「ヤンキーの虎」論の限界を認識するべきだろう

地方の活性化に取り組んでいる人達の界隈で「ヤンキーの虎」というワードが流行りつつあります。

衰退する地方経済の中で残存者としての利益を得つつ、地元密着の様々な事業を経営して逞しく生きる人々。彼らはマイルドヤンキーの雇用主として扱われることで、都市部の有識者らから勝手に「ヤンキーの虎」という称号を得ることになりました。

中央政府、大学、大企業のような象牙の塔での政策論、要は綺麗な世界で生きてきた人たちにはヤンキーの虎はよほど新鮮な存在のように見えるのでしょう。今まで気が付かなくてごめんなさい的な話かなと。

しかし、地方の現場の人々と触れ合えば、以前から頼れる兄貴的な存在としてヤンキーの虎的な人たちがいることは常識で分かります。自分も散々泥臭いことをやってきたので、その中で出会う彼らの漢気は素晴らしいと感じています。

「ヤンキーの虎」は非常に実行力・行動力・決断力に富んでおり、目標を決めて物事を断行するだけの資金力も有しています。中央政府や地方政府の遅々とした動き、審議会などの非生産的な状況に飽き飽きした論客たちが「ヤンキーの虎」に飛びつく気持ちも分からなくもありません。

しかし、だからと言って、「ヤンキーの虎」によって地方が活性化するということは「木を見て森を見ず」の話であり、新たな地方活性化論のためのバラマキネタを霞が関に徒に与えるだけになると思います。

「ヤンキーの虎」は、補助金経済の二次受益者ではないか、ということ

「ヤンキーの虎」の定義にもよりますが、現在のオーソドックスなヤンキーの虎は「地方経済の小さなコングロマリット」のオーナーと位置付けられていると思います。居酒屋、パチンコ、携帯ショップ、ガソリンスタンド、介護施設、産廃、その他諸々の儲かりそうな業種を統合しているプレーヤーというイメージです。

しかし、ヤンキーの虎の事業ドメインは、地方経済の「内需」に属する分野であるため、実態としては補助金経済の二次受益者ではないかと思われます。地方の人口減少の影響を受け続けながら、先細りする都市部からの財政移転の残存利益を合理的に回収しているわけです。

つまり、彼らは社会のビジネスモデル自体を変革するような存在ではなく、あくまでも現実優先の経営判断力を持った存在と言えるでしょう。それは経営者個人の資質として見た場合は素晴らしいことですが、中長期的に地方経済の衰退を食い止める存在ではないと思います。

地方経済が成長していくためには、地域外でも通用する技術やビジネスモデルを持った企業が誕生し、それらの企業が経済全体の屋台骨になって発展していくことが望まれます。

ところが、「ヤンキーの虎」が持つコアコンピタンスは、それらの技術やビジネスモデルの革新を創造する方向とは正反対の力によって構成されているのです。

「虎を頂点とした弱肉強食」ではなく「雑多な環境による適者生存」こそが競争力の源泉になる

「ヤンキーの虎」のコアコンピタンスは、地域社会におけるソーシャルキャピタル、特に縦社会の序列を形成するリーダーシップにあります。このようなリーダーシップは「やるべきビジネスモデルが見えている」場合に最大の力を発揮することになります。

ヤンキーの虎が地域に生息している生物の行動を統率し、次々に新しいビジネスを立ち上げさせて雇用を継続・維持していくやり方は、従来型の地方産業のM&Aや東京からのビジネスモデルの輸入という文脈において圧倒的な強さを示すことでしょう。

ただし、筆者のように東京都心部でVCに投資されて創業されるベンチャー等と触れあっている身としては、上述のようなヤンキーの虎のスタイルでは、地方経済の新たな立役者となる存在は生まれてこない、と感じています。

東京都心部で生まれるベンチャー経営者は、人物に依るものの、表面的にはヤンキーの虎のような漢臭さや覇気を感じない場合も多く、むしろ生き物としての生存が危ぶまれるようなパーソナリティの方もいたりします。

しかし、これらのベンチャー経営者らのビジネスが成功した場合には、社会全体のビジネスモデルが変わるものが多数存在しています。東京という社会的序列がはっきりしない雑多な環境から生まれるベンチャーは、ビジネス環境という生態系自体を作り替える「人類」であると言えるでしょう。

そして、地方経済が中長期的に必要としている要素は、「ビジネス環境自体を変える」または「域外経済においても圧倒的な市場シェアを占める」強いビジネス、そしてそれを生み出す「人類」であることは明らかです。

飼育係に支配された日本国の檻から経済人を開放することこそが重要である

日本の課題は飼育係(霞が関)に支配された日本国から動物たちを開放することです。

日本国の飼育係である霞が関は自身が管理する動物園の中で繁殖していく種族を決定し、それ以外の種族が増えないようにする力を持っています。しかし、彼らは神様でもなんでもないわけですから、生態系が繁栄するための方法を知っているわけではありません。

現在、多くの地方社会は飼育係の支店(地方政府)によって管理されており、大多数の生物は彼らの監督の下で生きていくことが許されている状況となっています。それらの場所では標語としての適者生存・繁殖促進が謳われているだけであり、実際には全ての生物が絶滅(人口消滅)に向かうプログラムが実質的に実行されているわけです。

ヤンキーの虎のような経済的な生態系における新たな発見を喜ぶだけではなく、根本的に日本経済の環境を野性的な状況に戻して活力を取り戻していくことが必要です。多様な生物が氾濫する肥沃な大地を蘇らせることが求められており、既存の環境の中での生存状況を確認だけでは不十分です。

筆者は「ヤンキーの虎」という言葉が「霞が関用語に変換された」上に虎たちに改造手術が施すための訳が分からん予算がつけられて生態系全体のバランスが更に崩壊するのではないかと懸念しています。

中央も地方も経済については介入することなく自然の逞しさに任せておけば良いのです。そして、地方からもビジネス環境全体を変革するような人々が生まれてくることに期待したいと思います。

ヤンキーの虎
藤野 英人
東洋経済新報社
2016-04-15

 

 

渡瀬裕哉(ワタセユウヤ)
早稲田大学公共政策研究所地域主権研究センター招聘研究員
東京茶会(Tokyo Tea Party)事務局長、一般社団法人Japan Conservative Union 理事
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