20世紀を回顧する。

高校生のときに産経新聞に掲載してもらった文章。備忘録としてアップしておきます。
文章は未熟ですが、ずっと、考えてきたことが同じなんですよね。全体主義について、ずっとずっと考え続けてきました。


二十世紀を四半世紀も生きていない私のような若輩が、「二十世紀を回顧する」などというのは尊大に聞こえるかもしれない。しかしながら、フランスの詩人のヴァレリーは、「人間はうしろ向きに、未来に入ってゆく」と語っている。つまり未来のことを考えるならば、歴史を学ばなければならないということだ。ならば、将来の日本を背負っていく我々若者こそが積極的に、歴史を顧みなければならないのではなかろうか。

さて、一体今世紀はどんな世紀であったのか。「戦争の世紀であった」と多くの人はいう。なるほど、たしかに有史以来例のない大戦争が二度も行われた。これは間違いのない事実である。だが、このこと以上に重要な事実を人々は忘れかけている。それは今世紀が全体主義の世紀であったという事実である。

今世紀に人類が狂信したファシズムも共産主義も、ともに全体主義であるという点ではなんら異なるところがない。ヒトラーの行ったユダヤ人大虐殺や、スターリンによる同胞大粛正などに見られるように、全体主義の禍いは人類にとって最大の汚点であり、忘れてはならない事実である。

では、全体主義とはいかにして生まれたのであろうか。それは人間が持つ本質的な弱さから生まれてきたのではないだろうか。

そもそも人間である限り、誰もが自らの存在を肯定したいという願望を抱きながら生きている。この願望を容易に実現させてくれる思想が全体主義思想であったのではないだろうか。全体主義者は、おのれに反するものを「祖国の裏切り者」という言葉や「保守反動」という安易な言葉だけで否定する。そして他者を否定したことによって自らの存在を正義の存在とする。こうして自らの存在を肯定するのである。

二十世紀において民衆はこれまで以上に自由になった。しかし、その自由に問題があったのではなかろうか。自由について、英国の偉大な保守主義者エドマンド・バークは「智恵も美徳も欠いた自由とはそもそも何ものでしょう。それは、およそあり得るすべての害悪中でも最大のものです」と述べている。つまり先人の智恵や美徳の結晶である、伝統や慣習による制限のなくなった自由ほど害のあるものないということである。何故なら、人間は完全な自由に堪えられるほど強い生き物ではないからである。自由に堪えられなくなった人間は自ら自由を放棄し、強力な制限の下に自分自身を置かざるを得なくなる。こういう理由から、人間は自由主義の下から全体主義の下へと逃走していくわけである。

今世紀に全体主義は表面化した。表面化したがゆえに全体主義の恐怖は多くの人の知るところとなったのである。だが現在、人々はその全体主義が遠い過去に存在していたとしか思っていない。つまり全体主義思想とは二十世紀に偶然起こり、そして消滅していった思想だと考えられている。しかしながら、自由主義から全体主義という強力な制限への逃走が人間の弱さに基づいて行われるのであれば、この全体主義思想という思想は常に我々の近くに存在している思想といわねばならない。

つまり我々が未来をより幸福な時代にしたいと願うのであれば、この全体主義思想に敢然と立ち向かわなければならない。この姿勢こそが、今世紀の歴史の重大な教訓に真摯に従った姿勢なのだ。

しかしながら近年、日本人はソ連の崩壊による安堵からであろうか、全体主義に対する危機感を忘れ始めているようである。「平和」の美名の下に冷徹な現実を全く無視し、日本の非武装化を唱える人々。「男女共同参画社会」の美名の下に家族の崩壊を推し進めている人々。「ゆとりの教育」の美名の下に学力低下や教育の荒廃を招いている人々。彼らはその意見に反対する人々のことを「軍国主義者である」とか「封建主義者である」もしくは「偏差値至上主義者である」と決め付け、その存在すらも認めようとしない。これを全体主義であると呼ばずに、何と呼べばよいのか。人々が知らず知らずのうちに、全体主義思想に染まっているのではないか。この様な事実は、人々が先人の歴史を顧みなくなり、全体主義に対する危機感を忘れつつあることを示している。

歴史を顧みることは、未来への警鐘を鳴らすことと同じである。そして二十世紀を回顧してみたときにわかる、先人がまさに血と汗と涙を流して残してくれた、全体主義の恐怖の事実は未来への重大な警鐘である。この警鐘が全く聞こえなくなったときに、人類は悲惨な歴史をまた繰り返すこととなるのであろう。


編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年5月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。