オバマ米大統領の広島訪問、静かに受け止めよう

2016年05月11日 11:14

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広島原爆ドームと長崎平和祈念像(Wikipediaより)

人間性のかけらもない核兵器

世界の科学者が集まり、核兵器廃絶の可能性を探るパグウォッシュ会議が昨年11月に被爆地長崎で開かれた。

長崎では1945年8月9日に原子爆弾が投下された。人口24万人のうち、約7万4000人の方が瞬時に亡くなった。同月6日に原爆が投下された広島では人口35万人のうち、瞬時に9万人の方が亡くなった。(どこで区切るかで、死者数は異なるが直後とした。)死者数だけでは区切れない、放射線障害、やけどによる健康被害などの後遺症も続いた。

同会議の報道で81才の男性被爆者の講演を知り、胸が締め付けられる思いをした。

原爆投下の直後、炭化した遺体が折り重なる焦土を歩き、爆心地から500メートルのところにある父の勤め先へ。父は黒くふくれたまま炭化していた。荼毘に付したが遺体は完全に焼けず、仕方なく鉄の棒で崩すと白濁した脳などが流れ出た。この様子は、母には生前に伝えられなかったという。−(長崎新聞11月6日、共同通信太田昌克編集委員「人間性原点に核廃絶を」)

11才の少年を襲った父の死とその無残な姿。人間性のかけらもない。このような悲劇が原爆の被害者、後遺症に苦しんだ方、ご遺族の数だけある。原子爆弾の戦争での使用は米国による国際法違反、大量殺人である。

オバマ氏に謝罪を求めるべきではない

その核兵器を使用した米国の大統領であるオバマ氏が5月27日に、安倍晋三首相と共に広島を訪問するという。私は米国内にさまざまな意見のある問題を前に、訪問に到ったオバマ大統領の決断を評価したい。

またオバマ氏環境を整えた日本政府と安倍政権の取り組みも評価したい。広島、長崎は、反核運動の象徴であった。核廃絶の願いは尊重すべきであるが、時代が下るにつれて、願いはスローガンの連呼と政治運動に代わり、原水禁(旧社会党)、原水協(共産党)、核禁会議(旧民社党)に分裂して政党の勢力拡大の道具になった。一連の運動は、世論の盛り上げの効果は多少会ったが、現実の国際政治への影響はそれほどなかったように思う。「運動のための運動」は結局、大きな力にはならない。今回のような、世論を背景にした具体的な外交と合わさることで、現実が動く。

この訪問は日本人にとって、特に広島・長崎の被害者に関係者がいる方にとって、感情を揺り動かされるだろう。そして彼の行動、日本の取るべき対応に、さまざまな意見があるはずだ。

私は、原爆への怒りは持ちつつも、静かに歓迎し、その反応を見守り、日米関係や核軍縮に悪影響をもたらさないようにするべきと、思う。原爆投下の際に生まれてもいないオバマ氏や大半の米国民に対して、謝罪や批判を求めるのは、違和感がある。日米関係や国際関係に、混乱を呼びかねない。

 必要なのは誠実に記録し、語り続けること

「戦争における犯罪にどのように向き合うべきか」。これは歴史の中で繰り返し問われる問題だ。戦争による罪は、その子孫が責任を負う必要はない。その時に行った個人や国家が、国際法の範囲の中で、また道義的に責任を持つべきものと思う。ただし、子孫には、道義上の責任がある。過去の事実を正確に認識した上で、起こっている現実に責任を持つべきだ。

これはリヒャルト・ワイツゼッカードイツ大統領が1985年の終戦の日にドイツの歴史を総括した「荒れ野の40年」演説で示した考えと同じだ。「私たちの世代は、今ある現実にこそ責任がある」「過去に目を閉ざす者は未来に目を閉ざす者になる」という言葉と共に、この記憶されている。この演説を意識した安倍晋三首相の「戦後70年談話」も同じ考えだ。ここでは米国への怨みはなく、「我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したい」という日本人の大多数の意見が示されている。

日本人は、今韓国、北朝鮮、中国の政府や国民から、慰安婦問題など、第二次世界大戦中の行為に基づいて謝罪を、国としても国民が個人としても求められている。当時は戦争の中でむごいことがアジア諸国民に行われ、それを大半の日本人は悲しく受け止めている。しかし彼らの主張には慰安婦問題など嘘も多く、そうした主張に、日本人の大半からは困惑や怒りの反応しか出ていない。目をつり上げて「1000年恨む」と元首が公的な場の演説で叫び、毎週嘘に基づく事実の前で過激なデモをする人たちのいる、どこかの国の姿は醜い。

私たち日本人は彼らとは違う。不必要な日米関係の混乱も怒りの再生産も、原爆の犠牲者も、戦没者の御霊(みたま)が、喜ぶはずがない。

核を認める厳しい現実

国際社会には核兵器をめぐる厳しい現実、そして誤った認識がある。

広島と長崎の核兵器による惨劇を、心ある日本人は知っているが、世界にはその情報が広がっていない。核兵器を大国が持ち合うことで、その大国同士の戦争は抑制された面は否定できない現実がある。世界にある核弾頭は米、ロ、英、仏、中の5国を中心に現時点で1万5000発あり、高度化とされる冷戦終了前の30年前に作られた弾頭を、作り直して高度化している最中だ。おそらく国際政治の中で核兵器は残り続ける可能性が高い。

日本の近隣の中国、北朝鮮が日本を核兵器で威嚇している現実がある。日本人にとっては矛盾だが、それによる恫喝に屈しないでいられるのは、同盟国である米国の核の傘が機能していることが一因だ。

ただそれは核を使用した場合に、相互の破壊が予想できるという前提の上に成り立っている危ういものだ。(相互破壊確証理論)その前提を受け入れず、自国が大量破壊と殺戮に直面しても、相手を殺戮するという政治指導者の意思があれば、核兵器は使われかねない危うさがある。私たちは恐怖を前提にした異様な思い込みの中で暮らしている。

また、そうした異様な考えを国策の前提にしているためか、米国では「原爆が日本を降伏させ、日本本土決戦による戦死者をなくした。正しい決断だった」という歴史観が繰り返される。

誤りを改めるきっかけへの期待

オバマ氏の広島来訪は、状況をほんの少しだが変えるだろう。彼は2009年にプラハで、ノーベル平和賞を受賞するきっかけになった「核なき世界を目指す」との演説を行った。広島でオバマ氏は、米国の歴史を否定しかねないために、謝罪とか米国の外交政策の自己批判や核兵器廃絶の具体的な道筋は言わないはずだ。おそらく核兵器の非人道性と悲劇を強調するだけであろう。しかし、それさえもなかったこれまでとは状況が変わる。

残念ながら、核兵器の力に魅入られた中国、そして北朝鮮は、オバマ氏の訪問で行動を変えないだろう。しかし核兵器への怒りが国際社会で再確認される。それは道義的に、2国への牽制になる。それは現在の私たちの安全を間接的に守る。

核兵器の廃絶は、なかなか見えない。けれどもオバマ氏の訪問が、長く続きそうな核廃絶の小さな一歩になればいいと願う。

私たち普通の市民は、決して無力ではない。オバマ氏の訪問を契機に、核兵器を肯定する危うい考えを持つ人々に、その凄惨な現実とそれを依拠する危うさを語る機会が増えるだろう。私たち日本人は、機会のあることに、それを語り続けるべきだ。その際に、静かに、そして誠実にあることが、日本の国柄らしい。そして、その方が世界の人々の心に響くはずだ。

石井孝明

ジャーナリスト

メール:ishii.takaaki1@gmail.com

ツイッター:@ishiitakaaki

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