マラソンブームは去ったのか?

「アメリカでランニングブームに陰り、若者が競争を敬遠?」(日経)という記事が目を引きました。私も走っていますが、確かにこの2年ほどレースには参加しなくなりました。私の場合は忙しくてレースに向けた練習に集中できなかったという言い訳があるのですが、確かに周りでも走る人が少なくなった気がします。

記事によるとアメリカにおけるマラソン大会の完走者は2013年の1900万人から2015年には1711万人まで落ち込んでいるそうです。特に若者の参加者が減っているとのことでした。

バンクーバー名物の10キロマラソン、「サン ラン」も11年に6万人の参加者を誇ったものの16年の大会はわずか41138人。確かに5年で3割減っています。

なぜでしょうか?

もともとマラソンは手軽なスポーツでいつでもどこでも出来るし金がかからないとされてきました。ところが大会に出るとなると5000円から10000円程度の参加費用は覚悟しなくてはならず、遠方からの参加者は運賃に宿泊費もかかる場合もあります。それでも数年前まではレースの前日あたりには盛り上がるイベントがいろいろ開催され、地域を上げて盛り立てていた気がします。

私は走る癖をつけていますから定期的に走らないと気分が良くありません。ところがいざ、レースとなるとどうしてもタイムが気になりますし、前回より良くしよう、と頑張りたくなります。これが正直、許されなくなったのが昨今の生活であります。同じ理由でゴルフは6-7年前に止めてしまったのですが、個人的にはお遊びのゴルフはしたいと思っています。リタイアした時、クラブを数本持って散歩がてらコンコンと5番アイアンぐらいで流しながらグリーン
に上がればそのホールは終わりぐらいののんびりしたプレイならしたいと思います。

私がゴルフを止めたもう一つの理由は一緒に回る人たちがあまりにも真剣で自分との勝負になっているため、4人でプレイしているという楽しみが全くないのです。ルールにもかなり厳しくてOKボールかどうか、イチイチ測る人もいたりして「面倒くさい!」と思ったりしたこともあるからでしょう。

一方、若者はどうでしょうか?知り合いの22歳の女の人はボルダリングに凝って暇さえあれば「登りに」行っているそうです。私は一人スポーツかと思っていましたが割と仲間と一緒にやったりするそうで上った後は仲間たちと食事に行ったりカラオケに行ったり、ゲームしたりということのようです。どう考えても一人黙々と努力するというよりスポーツが楽しさと掛け合わさっているとしか思えないのです。

では、マラソンブームはなぜ去ったのか、ですが、私の直感はただ黙々と走ることが楽しくないのだろうと思います。バンクーバーの海岸遊歩道に行くと数人がしゃべりながらゆっくり走っているのをよく見かけます。私が練習するときはしゃべる余裕は全くないのですが、逆にそれぐらいゆっくり走りながらおしゃべりをするという掛け合わせの論理なら成り立つのかもしれません。勿論、この場合、わざわざレースに出るというモチベーションはないと思います。

私は自転車には乗りますが楽しいと思います。何故かと言えば景色の移り変わりがあるからです。かなり遠くまで比較的短時間で行ける自転車に比べマラソンやジョギングは距離が知れているし、景色を見る余裕も途中からなくなってしまいます。

こうみるとスポーツも時代と共に「はやり廃れ」があるようです。また、スポーツの種類も幅広くなりました。昔、球技は野球(私の小さいころにはサッカーはまだ、テニスはハイカラでした)、一人でやるなら走る、自転車、水泳といった程度しか選択肢がなかったのです。

そういえば私は中学生の時に縄跳びに異様に凝りました。普通に飛んで1万回以上とか5重跳びは最高で8回成功しました。確かギネス記録が当時16回だったのでもう少しだったのですが。でも、これもひたすら努力できる時間があったからなのだろうな、と思います。

そういう風に見るとマラソンブームが去ったのは人が皆忙しくなって練習できなくなったこと、マラソンに「掛け合わせの楽しさ」が足りないと見る方が自然なのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 5月15日付より