映画『アイヒマン・ショー』を観て考えたこと

2016年05月15日 21:00

先日、『アイヒマン・ショー』を観た。観てよかった、というのが正直な感想である。アイヒマンの裁判がテレビで放映された事実は知っていたが、放送にいたるまでにこれほどまでの苦労があったとは知らなかった。大変興味深かったのは、この映画がアレントの『エルサレムのアイヒマン』とは異なった見解を示唆している点であった。

テレビプロデューサーのミルトン・フルックマンとドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツとが主人公だ。

フルックマンは、アイヒマン裁判を放送し、多くの人々が視聴することを期待する。だが、イスラエルの判事たちは、裁判の妨げになる可能性を考え、なかなか裁判の放送を許可しようとしない。フルックマンは知恵を絞り、判事たちを説得しようと試みる。私が驚いたのは、この裁判の放送を妨害しようとするナチスに親和的勢力が、フルックマンに圧力をかけてきていたという事実だ。不勉強ながら、この放送を中止させようと試みる脅迫の類が存在したことを知らなかった。

フルックマンが様々な困難を乗り越えて放送にいたるが、なかなか思うように視聴率が取れない。判事の質問は、多くの人にとって退屈だった。同時期、ソ連の飛行士ガガーリンが宇宙船で地球一周を成し遂げ、多くの人はアイヒマンではなくガガーリンに注目した。またキューバとアメリカの対立も世界の注目を集めた。

こうした状況下でフルックマンは、何とか視聴率を上げようと、裁判そのものを面白く放送しようと試みる。これに対して、映画監督のフルヴィッツは、アイヒマンの眼に着目し続ける。フルヴィッツがアイヒマンの眼の動きに注目するのは、人間である以上、アイヒマンが良心の呵責に耐えかねて、動揺すると想定し続けるからだ。アイヒマンも人間であり、人間が人間とは思われないような残虐な行為に手を染めたと捉えるのがフルヴィッツだった。誰もが過酷なナチズムの時代に生きればアイヒマンのような行為に手を染めてしまうかもしれないというのがフルヴィッツの主張だった。

こうしたフルヴィッツの主張に反発を覚える撮影スタッフもいた。彼は云う。「私はアイヒマンではない」。フルヴィッツは、誰もがアイヒマンになりうると説くが、「私はアイヒマンではない」と反論し続ける。

実際、アイヒマンは如何なる話を聞かされても動揺しない。ここがこの映画の核心の一つだ。アイヒマンの眼には動揺の念が映らない。

視聴率が上がらずに焦るフルックマンは、アイヒマンの眼に注目し続けるフルヴィッツを怒鳴りつけ、個人的な「観察」に貴重な時間を割くなと怒る。これに対して、フルヴィッツは焦るなと説く。

視聴率が変わり始めるのは、ホロコーストの生存者たちが、自分自身の見聞きした過酷な真実を話し始めてからだ。生き証人たちの語る過酷な真実に世界中の人々が衝撃を受けた。

フルックマンは視聴率が上がることに喜ぶが、フルヴィッツは、未だに納得できずにいる。

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編集部より:この記事は政治学者・岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2016年5月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。

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