オバマ広島演説、ピント外れで残念−でも意味ある一歩

2016年05月27日 22:07

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被爆者と語るオバマ大統領(NHKより)

演説上手にしては…

オバマ米大統領が、広島を訪問し、原爆ドームと平和記念公園を訪れた。リアルタイムで見たが演説上手というオバマ氏にしてはピントがはずれ、内容の拡散した、満足のいかない演説だった。これは多くの日本人が感じたことだろう。(記事翻訳全文・産経新聞)

オバマ氏は「8月6日の朝の閃光で世界が変わった」と言った後、「なぜ私たちは広島を訪問するのか」と話をつなげた。私は英語の能力は乏しいが、「深く考えるために私たちはここに来る」「10万人の犠牲者の魂に語りかける」「罪のない人が亡くなった」「素晴らしい技術が人を傷つける」「歴史を見つめなければならない」「米国と日本の和解」という、美しい単語を並べた。

一方で日本にも配慮したのか第二次世界大戦で米国の戦争が正義だということも言わず、また韓国に配慮したのか数百人の朝鮮の人々が犠牲になったとわざわざ言及した。そして米国内の原爆をめぐるさまざまな意見に配慮し、悲劇だけを強調した。

演説はどうも表面的にスピーチ原稿を読み上げているだけに思えた。オバマ氏は自分でかなりスピーチを推敲するという。しかし今回は、他の演説で見られるスピード感や、人柄や思いの込められた内容ではなかった。

そして論点一つ一つを深く掘り下げなかった。広島で語られるべき具体例を語ったら、印象も歴史的意義もまったく違っただろう。私たち日本人も原爆被害者の方も、抽象的な悲しみよりも、一人一人の悲劇への共感、軍事指導者の決断の重み、そして核廃絶の明確な決意を聞きたかったはずだ。

「原爆投下による大量殺人への米国の道義的責任をどう考えるか」「国際法違反ではないのか」「本当に原爆は日本本土決戦を止めたのか」「黄色人種の日本人に対して、白人である当時の米国の戦争指導者に人種偏見はなかったか」。こうした具体的な論点を通り過ぎ、人類の悲劇という一般論に話を拡散させ、印象が散漫になってしまった。

オバマ氏は3人の被爆者の方とも言葉を交わした。オバマ氏は身長185センチという。小柄な高齢の皆さんを握手して抱きしめた。とてもいい写真になった。しかし高齢の被爆者に膝を屈して話を聞かず、終始見下ろす形になった。これは「対等」という意味だ。彼の平和記念館の展示の見学もメディアに公開しなかった。凄惨な展示に顔をしかめた場合に、写真などが切り取られ騒ぎになることを恐れたのだろう。記念館の記帳も「責任」に言及したケリー国務長官と異なり、オバマ大統領は「我々は戦争の苦しみを知った。共に勇気をもって、平和を広げ、核兵器の無い世界を追求しよう」という当たり障りのないものだった。

「あやまちは繰り返しませんから」と同じ無責任さ

私は原爆をめぐるさまざまな文献を読み、また広島、長崎の爆心地の記念館を訪問した。

あまりにも惨劇の事実が重すぎ、感想をまとめきれない思いをした経験がある。今でもそうだ。おそらくオバマ氏も、事実に圧倒されただろう。しかし、そうした感想は、今回の訪問と演説から見えなかった。

残念ながら国際政治の政治的文脈で、広島・長崎の原爆投下の意味づけは、当面の間はこのようにあいまいな扱いにされ続けそうだ。広島の平和記念公園の慰霊碑には「やすらかに眠ってください あやまちは繰り返しませんから」と、日本人の手によって刻まれている。これはおかしな文章だ。誰の過ちなのか明確でない。頭のおかしな左派勢力の言う「日本軍国主義のせい」ともとれる内容になっている。今回の演説では、勝者で加害者の米国側も、あいまいにしたがる空気が、のしかかっていることを逆に際立たせた。

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原爆をめぐる米国の世論は、少しずつ変わっている。原爆投下の必要性を認める米国の世論は年年低下している。1945年には85%が賛成だったが、正当性を認める意見は、1991年には63%だったが、15年には56%になったという。(ピューリサーチセンター「70 years after Hiroshima, opinions have shifted on use of atomic bomb」)その変化があったとしても、はっきりと米大統領は意思を示せない。(左図)

米国でも、日本でも、誰もためらって公的には本当のことが言えない言論のこわばりがある。事実は次のように単純だ。「広島・長崎の原爆投下とは、国際法違反の大量殺人である」。

原爆投下は、敵国の民間人を含めた日本人を殺傷するという目的、戦後の世界秩序のために米国の力を見せつけるという政治目的を持った軍事行動である。後になって、無理に投下の理由が多くの命を救うためという「原爆神話」が作られた。(ロイター通信「広島「原爆神話」、米国はどう海外攻撃を正当化したか」)それは詭弁だ。

 生まれた新しい動きを活かす

しかし、それでも政治リスクを乗り越え来てくれた、オバマ氏に感謝と敬意を持つ。2009年の「核なき世界」を訴えたプラハ演説の継続として、被爆地で核兵器を語ることは、小さいけれども、一つの変化だ。

そしてオバマ広島演説で正直な言葉の発露をためらわせた「政治的配慮」を、私たち普通の市民が考え尽くす必要はない。私たちは、核兵器と戦争の惨禍を機会あるごとに訴えていかなければならない。

ただし、日米は原爆投下を含めた太平洋戦争の悲劇を乗り越え戦後70年、協力を続けた。そうした歴史も重い。決して原爆投下の事実を忘れてはならないものの、今ある現実とそこから生まれた協力と和解という素晴らしい歴史も、傷つけるべきではないだろう。

オバマ氏に同席の安倍晋三首相のスピーチの方が、私たち日本人の平均的な考えを伝えて、私には印象に残った。訪問を感謝し、核兵器廃絶の決意を称え、日本人はかつての敵国であった米国やアジア諸国民と共に、「核のない、平和な世界を目指す」とした。これは私たち日本人の平均的な考えだ。

また安倍首相は終戦70周年談話で次のように述べた。

「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います」

別に私は安倍首相を無批判に賛美する支持者ではないが、これも国民の最大公約数的な見解だろう。

オバマ広島演説は不満足だが、新しい動きだ。これまでこうした動きさえ、米国にはなかったのだから。この小さな変化を受け止めながら、行間を埋めるのが、今を生きる私たちの責任と思う。敵意や憎悪を駆り立て、今の米国との協調、そして日本の平和を壊す必要はない。しかし核兵器への非難がより強まったという新しい動きを支えていく必要があるだろう。オバマ氏の訪問が原子爆弾の非人道性を改めて注目が集まるきっかけになった。これで多くの人が広島を訪問するならたいへんうれしいことだ。

歴史は大統領や首相などの為政者だけによって動かされるものではないはずだ。

参考・筆者記事「オバマ米大統領の広島訪問、静かに受け止めよう

 石井孝明

ジャーナリスト メール : ishii.takaaki1@gmail.com ツイッター:@ishiitakaaki

 

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