イランが「メッカ巡礼」禁止した背景

長谷川 良

イスラム教のラマダン(断食の月)が6日、始まった。イスラム教徒は1カ月間、太陽が昇った後は日没まで食事を断ち、この世の快楽を慎む。ラマダンはイスラム教徒の五行の一つだ。

ところで、毎年慣例のメッカ巡礼(ハッジ)はラマダンと同様、イスラム教徒の五行の一つだが、そのメッカ巡礼をイラン政府は先月29日、禁止した。その理由として、テヘラン政府は「威厳と安全問題」を挙げている。

巡礼地メッカで昨年9月24日、巡礼者の圧死事故が起きて、769人が死亡、934人が負傷する大惨事が発生した。犠牲者のうち、464人がイランの巡礼者だった。その2週間前には、カーバ神殿がある聖モスクにクレーンが倒れて、107人が死亡、238人が負傷している。イラン側が巡礼者の安全をメッカ巡礼禁止の理由に挙げたのはある意味で当然だ。

エジプトのイスラム教学者、ローマ・カトリック教会イエズス会のサミーア・カリル・サミーア(Samir Khalil Samir)神父は5日、バチカン放送とのインタビューで、「イラン政府の説明は半分は真理だが、それが全てではない。もちろん、464人のイラン人巡礼者の死去は大きな理由だが、真相は今年4月中旬、トルコのィスタンブールで開催されたイスラム協力機構会議(OCI)でイランが名指しで批判されたことへの反発があるはずだ。ズバリ、OCIを主導するサウジへの反発だ」と指摘する。

サウジ主導の同会議ではレバノンのヒズボラ、シリアのアサド政権はテロリストと指定された。イランが背後で両者を支援していることがその理由だ。換言すれば、サウジを盟主とするスンニ派とイランのシーア派間の宗派闘争がその背後にあるというわけだ。

サウジが1月2日、イエメンでイスラム教シーア派指導者ニムル師を処刑したことがきっかけで、サウジとイランの間で激しい批判合戦が展開し、一発触発の緊迫感が漂ったことはまだ記憶に新しい。サウジは同月3日、イランとの外交関係を断絶している。

9月のハッジを巡り、イランはサウジと交渉を重ねてきた。メッカ巡礼者の数では、イランは10万人の巡礼者を送る権利を得たことがあったが、その数が7万人に減らされ、ここ数年は5万人に減少させられてきた。サウジ側は年々、イラン人のメッカ巡礼の制限(査証の発給)を強化してきているわけだ。

サミーア神父は、「サウジはイランとの宗派間の抗争を利用している。イエメン内戦を見れば分かる。サウジはイランが支持するイエメンの反政府勢力、シーア派武装組織フ―シを攻撃している。OCI加盟国57カ国のうち50カ国がテロリストの支援を理由にイランを批判したが、実際は、サウジとカタールがイスラム過激派テロ組織『イスラム国』(IS)を資金的に支援している」という。

ちなみに、スーダン出身国連記者でサウジ問題に詳しいアブダラ・シャリフ氏「ホルン・アフリカ ・ニュース・エージェント」(HORNA)は、「メディアではサウジ、エジプト、トルコのスンニ派諸国とイラン、イラク、それにシリア政権を含むシーア派国の宗派紛争という受け取り方が主流だが、実際はスンニ派とシーア派の宗派間の抗争というより、サウジの厳格なイスラム教派、ワッハーブ派とイランの対立と見るほうが事実に即している。サウジは昔からペルシャのイランに対し、単に軍事的だけでなく、歴史的、文化的に一種の劣等感(コンプレックス)を抱いてきた」(「サウジ王室内で世代抗争が進行中」2016年1月9日参考)と述べている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。