舛添知事問題異見

加藤 完司

舛添知事の公私混同問題は過熱しているのか冷めてきたのかよくわからないが、いずれにせよ辞職コールに集約されつつあるようだ。家族との宿泊費や飲食費を公費としてつけていたのだから、人間としての品格を問われてもしかたがない。都議会の代表質問で新たな事実が出るかと思ったが、愚問の繰り返しでもあったのだろう、新聞には何も出ていないに等しい。

一般的に民間では社長や役員、役職者が、何らかの理由をつけて成果の伴わない経費を使うということは珍しいことではない(一応気を使った言い回し)。国会議員から地方議会議員まで程度の差はあれ同様だろう。政治資金規正法が骨抜きなのがいい証左。人は地位を得て権力を持つと、金に汚くなるというよりは、私費に公費を充てることにもしあわせを感じる生き物のようだ。逆にそういう気質の強いタイプだけが地位を得ることができる、ともいえる。もちろんそうではない清廉潔白にして能力のある方々も多数いることも知っているので、念のため。

ということで今回の世間の反応を見ていて、「ヨハネによる福音書」の一節を思い出す。罪を犯した女を石で打ち殺せという住民に、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言ったところ、住民は一人づつ立ち去りイエスと女だけが残されたという話。ユダヤの民は恥を知っていたようだ。今回の話、記者会見で本人が「汗顔のいたり」「恥ずかしいかぎり」と陳謝したように、「罪」を認めたのだから非難する側にとって自分が傷つく心配はいらない。非難する立場をとれば全員が正義の使者。

だから世論の支持を背景に、都議会では各党代表が堂々と辞職を迫ったようだ。有権者向けのパフォーマンス。都議会で一日質疑をして回答が不十分と言うのは質問の質が相当悪い、もしくは質問にもなっていなかったのかもしれない。

「ピザの焼き方」と「クレヨンしんちゃん」との本を購入したと知った時は、これではさすがにアウトだな、と思った。しかし翌日の新聞に、

・「ピザを焼いて振る舞いながら政治課題について意見を聞いたことがある」――。

・「児童の保護者から子どもが悪い言葉遣いをまねる」と相談を受けた舛添氏が「どのような表現がされているか確認するため」に購入したという。

とあった。なるほどと妙に感心、些細なことでも事実を自ら確認するという態度は好ましい。自分が同じ立場だったったら、多分同じことをしたと思うし、経費として請求すると思う。日経新聞の見出しは、しかし、「ピザの焼き方・「クレヨンしんちゃん」…購入本、家族向け?」と、悪意剥き出し。こうやって世論は作られるんだ、と改めて思う。小保方さんの時と同じ構造。

いずれにせよ、舛添知事が人間としての品格に欠けるのは明らかだが、最高の地位に就く人間は概ねそのような存在だと思う。むしろ都知事としての能力、資質がどうであったかという点の方が重要だろう。青島氏から猪瀬氏までの諸知事と較べてどうだったのか、そして辞職後の知事はどうなりそうなのか、そちらの方が気になるのだが、テレビでも新聞でもネットでもそういう論説を見たことがない。舛添氏が辞めて、都知事になりたい、なれるような人に清廉潔白にして能力のある代替者が存在するのか、イエスなら辞任を要求するのは合理的だ。

一方、ノーもしくはわからない状況で辞任を迫るのは、あまりに短絡的かつ無責任で却って危険な気がする。清廉潔白だけをウリにするような人物が都知事になっては本末転倒だろう。