政治家は「家族」の辞職要求に弱い

2016年06月16日 11:20

舛添要一東京都知事(67)が15日、都議会議長に辞職願を提出したというニュースが飛び込んできた。「遅すぎた」という人から、「次は少しましな人物を都知事に選ぼう」という未来志向型意見まで様々なコメントがネットの世界で流れている。

政治資金の私的流用問題で責任追及されてきた舛添氏の対応を見ていると、「どうしてあのような人物が都知事になったのか」、「そのような人物を都知事に選んだのは都民だから、都民にも共同責任がある」という思いが湧いてくる。

焦点が次期都知事探しに移っている段階で、辞職に追い込まれた舛添氏の政治家としての資質云々を指摘したとしても余り生産的ではない。舛添氏を支持してきた自公民が辞任を要求したことで、都知事は辞職に追い込まれた。これが真相だろう。スポンサーが手を引いたのではやっていけないスポーツ選手のようだ。自公民というスポンサーを失った都知事は辞職以外に他の選択肢はなかっただけだろう。

このコラム欄では政治家が辞職、辞任に追い込まれる理由について考えてみたい。外では強がりをいっていても、家に帰れば奥さんの言いなりになっている男性諸君も少なくないが、政治家が辞任、辞職に追い込まれるのは、今回の都知事のように、支持基盤を失ったからだけではないだろう。案外、政治家に辞職を決定させる最後の一撃を加えるのは家族ではないか。以下、その実例を2つ挙げる。

国連事務総長(任期1972年1月~81年12月)を2期務めた後、オーストリア大統領(任期1986年~92年)に選出されたクルト・ワルトハイム氏は2期目の再選出馬時、ナチス戦争犯罪容疑が浮かび上がり、世界ユダヤ人協会などから辞任要求が飛び出した。同氏は懸命に自身の潔白を表明し、「自分はナチスの戦争犯罪には関与していない」と主張。国際戦争歴史家委員会も「ワルトハイム氏は直接は関与していない」と指摘したが、同氏辞任要求は収まるどころか益々強まっていった。その結果、同氏は再選に出馬しないことを決定した。
ワルトハイム氏は後日、出版した著書『私の返答』の中で、「連日、ナチス犯罪に関与したとメディアで追及され、私の家族は苦しい日々を過ごしていた。その姿を見ていた私はこれ以上、家族の涙を見たくないと思い、再選出馬を断念した」と述べている。再選出馬断念は決してナチス戦争犯罪容疑を認めた結果ではなく、家族の涙だったと明らかにしている。

リチャード・ニクソン米大統領(任期1969年1月~74年8月)は1974年8月、民主党本部を盗聴していたウォーターゲート事件が発覚し、辞任に追い込まれた。米国内では当時、ニクソン大統領の即退陣を要求する声が吹き荒れていたが、大統領自身は最後まで拒否していた。しかし、家族の説得を受けて辞任を決意した。
ニクソン政権時代は冷戦時代だった。米大統領の辞任は共産主義政権の勢いを与えるという判断から、ニクソン氏は最後まで辞任を拒否してきたが、「パパ、もういいわ」という娘や家族の声に屈せざるを得なかったのだ。

連日、「辞めろ、辞めろ」とメディアで報じられ、帰宅して家族からも「辞めてほしい」といわれれば、強靭な意思を持った政治家でもそれに抗するのはかなり難しいだろう。

舛添氏の場合、ワルトハイム氏やニクソン氏のように家族の願いから辞職を決定したケースではないだろう。いずれにしても、「与党からの政治圧力からではなく、愛する家族の願いに応えざるを得なかったからだ」と弁明できる政治家は、ある意味で自身の名誉を少しは守れるわけだ。舛添氏にはそのチャンスもなかったわけだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年6月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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