親子は一世、夫婦は二世、主従は三世

2016年06月17日 17:00

人は三つの恩義を受けて育つ。親と師と君である。それぞれの恩義は極まりないが、とりわけ他にまさるは親の恩である--ケネディ大統領も尊敬した米沢藩主の上杉鷹山公は、こう述べたと言われています。

あらゆる道徳の基本はに出発する、と『孝経』の中に書いてあります。親に対する恩は、それだけ深いものがあるわけです。私は嘗て『孝は百行の本』(14年11月27日)と題したブログを書いたことがあります。御興味がある方は是非読んでみて下さい。

昨年11月上梓したブログ本第8弾『自修自得す』の「はじめに」では、此のブログをピックアップして掲載すると共に、仏教の『父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)』のお釈迦様の御説法の一部を、現代語訳で御紹介しておきました。

お釈迦様は父母の恩徳につき、十種あるとされておられます。それを読まれたらば、父母の恩がどこまでも深く重く限りないものだ、と良く御分りになるでしょう。

このように「とりわけ他にまさるは親の恩」だと言われるわけですが、偶々この間私はある人の結婚の披露宴で「親子は一世(いっせ)」「夫婦は二世(にせ)」までを取り上げ話をしてきました。

国語辞書を見ますと夫々、「親子の関係は、この世だけのものであるということ」「夫婦の関係は、現世 だけでなく来世まで続くということ」と書かれています。

仏教では本来親子の縁は一世代、現世だけに関わっているものであるのに対し、夫婦の縁は現世と来世、あるいは前世と現世のどちらかに関わっているものだとされています。そういう意味では、国語辞典は正しくありません。

更にはもう一つ、実は「主従は三世(さんぜ)…主従の間柄には、現在だけでなく過去・未来にもわたる深い因縁があるものだということ」というのがあります。

君主との縁は極めて深いものだということで、ある種これは封建的な時代の産物かと思います。ですから敢えて私は上記結婚式では、夫婦二世までの話にとどめたわけです。

では、夫婦で別れたケースは如何に考えれば良いでしょうか。私の解釈として、どちらかと言うとそれは前世との因縁が強く、そしてまた再婚したらば、それは来世との因縁が強い人と結ばれたのだと考えています。

昔の封建時代には、君主との縁は三世とまで言われて極まりなく深いものと考えられていたのに対し、親子のそれは現世だけのものとして寧ろ最も限られた中で考えられていたのです。縁ということだけで見れば、親子の縁が一番強いというわけではありません。しかし道徳の基にたるものが何かと言えば、その親子の関係から醸成され行くものであります。孝の気持ちを持つことは、非常に大事なことなのです。

BLOG:北尾吉孝日記
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