これからの大学入試 --- 藤井 秀昭

今の常識はセンターに二次試験だろう。だが、数年先にはセンターは廃止されるのはご存じだろうか。2020年だ。つまり四年後だ。

日本の大学は、今東大をはじめ入試改革を行っているが、私は去年「東大推薦入試説明会」に出席した。高校や予備校担当者が質問で「納得できませんよ」と吠えていた。同業者として、この人達、大丈夫かと思った。取るのは東大、選ぶのも東大。その点、担当教授と思われる方は、割と予想済みのようだった。

もっとも、塾には実際の志望する受験生の保護者であるいうのが、違いだろうが。点数至上主義からの脱却というのが東大の説明だった。つまり、予備校はじめ、「教育産業の排除」だ。画一した教育からは、画一した学生しか生まれないし、個性的な生徒に機会が喪失されるというのだ。去年、それに参加し、我が家では、受験方針は決まった。8月のことだ。それから1年、ある作戦で進んでいた。

これは、ずっと口外禁止状態だった。推理小説家になることだ。これが我々の考える文学の提唱だった。「理系の推理小説」というコンセプトだ。その時期に、息子は弁理士の先生に機会があって面談した。そうでなくても、趣味で特許をフランス語で読んでいたのだ。ここら辺を推理小説にしようということだった。結果、1年後の今「パナケアの遺志」で推理小説家デビューとなり、地元では、ちょっとしたお祭りになっている。

それはともかく、この8月が受験の天王山とみている。息子は推薦で、この1年、語学、推理小説賞、すべてに力をだしつくし、その栄冠を取ってきた。補欠ながら国際言語学オリンピックの日本チームメンバーだ。初めての挑戦にしてはよくやった。本来のイメージでは今からが受験だが、もうすでに勝負がついているのだ。

この受験を通して、次の世代の受験制度がわかってきた。起きうることは「プロ受験」の衰退、浪人の排除と現役合格の奨励だ。粛々と静寂を持って行われている。後期日程の廃止はその表れだが、さて、狭まった「狭き門」にただ、殺到するだけだろうか。空いた推薦枠は盛り上がることだろう。いつまでしがみつくのか。

募集要項で各校男女1名とされている。つまり、立候補が難しいのだ。うまい制度だ。つまり、東大に見合う生徒は何人もいるわけがない、ということだ。だから、この1年「学校からの推薦」が勝負の分かれ目とみていた。実際にそうだろう。

去年を見ていたが、去年は軒並み有名校が不合格になっていた。つまり、ただ、学校名、ただ、すごいだろうでは通らないのだ。今後、30パーセントを推薦にするという。世界大学ランキングでは東大、京大ともに下に落ちた。つまり、待ったなしだ。学生が日本人なんて時代はもう過ぎたと思う。実際、留学生が来ないといわれているようだ。

しかし、大手予備校は日本ローカルの戦いがすべてと言っている。この話で分からん奴は置いておけ、と思う。時代はそうじゃない。まさに、そういう時代だ。すでに自分もそういった教育に携わる者として、次世代の受験体制を考えるのだ。息子の高校でこの話をすると、「入試のサポートは出来ない」ということだった。これが現場の状況らしい。あまり、通っている高校を頼らないほうが身のためであろう。

今後の受験では、変化についていけるものが生き残るだろう。わが塾も、すでに次世代の教育に改革中だ。少なくとも大量生産的な発想は時代遅れであろう。基準は変わっている。

これからはすべての基準が変わると思った方がいい。

P.S  これが推薦入試に出した答えだ。