「戦後」を知らない世代 --- 渡部 真平

2016年08月17日 06:00

その昔、「戦争を知らない子供たち」という流行歌があったらしい。平成生まれのわたしたちは、戦争はもちろん、もはや「戦後を知らない」世代である。

ここでいう「戦後」とは、単なる時間の広がりとしての「戦後」ではない。これは70年経っても、100年経っても「戦後」と呼ぶことができるし、わたしたちも、この意味では、たしかに「戦後」を生き、それを知っている。しかし、焼け野原と化したこの国が、信じられないほどのエネルギーをもって再興を果たし、「高度経済成長」を経て、世界有数の経済大国へとのし上がった、できごととしての「戦後」を、わたしたちは知らない。わたしたちは、「もうできあがった」大国ニッポンに現れ、その繁栄を享受しつつも、その国家としての成熟ゆえの苦悩に巻き込まれたりしている。

「戦争は悲惨だ」「戦争を二度と繰り返してはいけない」―このような言葉は、スローガンとして「戦後」を生きるわたしたちに刻み込まれている。この国にとっての「平和」は、「太平洋戦争ではない状態」である。1945年8月15日が「平和」の始点であり、わたしたちにとって、平和は「維持する」ものなのである。また、「戦争観」もあの日のままで止まっている。

近所の八百屋のおじさんが軍服を着て出征していく…B29、手りゅう弾、特攻…

わたしたちが繰り返してはいけないと固く誓っているのは、このような「太平洋戦争型」の戦争であり、先ほどのようなスローガンを唱えておけば、「戦争」の中身、現代における戦争とは、具体的にどのような戦争が起こり得るのか、などといったことは、考えなくていいことになっている。

だからこそ、北朝鮮によって日本国民が日本国内で誘拐され、ロシアによって北方領土が、韓国によって竹島が、中国によって尖閣諸島が不当に脅かされても、それらが「太平洋戦争型」ではないから、「戦争じゃない、なにより平和的解決だ」と言い聞かせるだけで、「平和国家」を標榜し、何も護れていない。護ろうとしない。

「太平洋戦争型」の戦争観からいまだ抜け出せない、2016年8月15日、韓国の超党派の国会議員が竹島に上陸した。

「もうできあがった」大国に生まれた「戦後を知らない世代」は、あの日のまま止まってしまった「戦争観」を転換し、当たり前のように、淡々と、祖国を護る世代でありたい。

渡部 真平   愛媛大学教育学部3回生

※写真はJOCサイトより引用(アゴラ編集部)

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