イスラーム化していく西欧(1) フランスの現状

2016年10月05日 11:30

L’islam en France – la République en échec

上記リンク先にある「L’islam en France – la République en échec」は、フランス国内で放送されたテレビ特集である。内容自体もショッキングだが、この番組が遂に公共放送されるに至ったことの意義は甚大である。フランスでは早速左派やリベラル派が猛反発し抗議しているが、今回はこの番組についての簡単な報告をする。

番組タイトルから明らかなように、内容は無論「フランスにおけるイスラム教」の実態に関するレポートである。

白人男性のリポーターがhijabや中にはburkaを被ったイスラム教徒の女性達や「イマーム」を名乗る男性などを尋ね直接取材していくのだが、取材に応じているイスラム教徒達のリポーターの質問に対する答えは実に衝撃的発言を含んでいた。

例えば、現在既にイスラム教徒の占める比率が45%にのぼるパリ郊外のサンドニにおいて、妊婦の娘の付き添いとして病院を訪れていたあるムスリム女性は「男性医師が来たので、彼を拒否し、女性の医師が来るべきだと言いました。我々ムスリム女性は、男性に決して触れられてはならないのです。」と淡白に語る。リポーターが「では、laïcitéはどうなるのでしょうか」と聞くと、女性は「Laïcitéですか、私はそんなものは認めません。」と断言し、「女性に対しては、女性が必要なのです」と強い調子で言った。リポーターは重ねて、「しかし、それは何故でしょうか?それは女性として恥ずかしいからでしょうか、あるいは宗教が理由でしょうか?」と聞くが、ムスリム女性は「宗教です。(男性が女性に触れるのは)haramです。つまり罪なのです。」と笑顔で即答した。この病院の関係者によれば、女性医師の手がどうしても足りず、男性医師しか手が空いていないということをこの手の厳格なムスリム患者に伝えた結果、患者側の家族が激昂しギャングを使って病院を襲わせたりすることが毎年一、二度あるという。

また、フランスでは公共の場で顔を覆うことは禁じられているため、burkaを着ている女性達は警察に見つかれば罰金を払わねばならない。だが、実際にはこの罰金を女性達が自分で払うわけでは必ずしもない。番組では、彼女達に変わって罰金を支払う外国籍(非フランス国籍)のイスラム教徒の男性が、burkaを着た女性とともに役所に出向き、罰金額を支払う姿がカメラに収められていた。無論、この時も女性はburkaを着ている。

学校でもlaïcité原則の貫徹を促す張り紙(charte de la laïcité)があるのだが、ある学校の校長先生はムスリムに対してだけhijab着用を禁じることへの不公平感への配慮から、全員に対して一切の「帽子」を禁じるという方針を打ち出した。その上で、生徒指導としてムスリム女性にもhijabを外すよう注意する。だがムスリム女子達はそれでもhijabをつけて登校してくるので、校長じきじきに生徒指導を行う。しかも、「今すぐ外さなくてもいいから」という配慮を忘れない。だがイスラム教徒の女子生徒がそれを聞き入れる様子はない。そこでリポーターが校長に注意されたばかりの女子生徒(hijab着用者)に「何故その頭につけているものを外すべきなのかわかりますか?」と質問すると、女子生徒はすかさず「わからないわ、これは単に可愛いと思うから着ているだけだし。」と答える。リポーターが「では、信仰とは関係ないと?」と誘導すると、女子生徒は「そう、別に宗教とかそういうのは全然関係ないわ。」と答える。そこでリポーターは間髪入れず「ちなみにあなたには信仰がありますか?」と問うと、女子生徒は若干狼狽しつつ「あぁ。。はい、私はムスリムです。」と答える。

日常の場面で、現実にフランス法に反することを宗教法に従って平然とかつ場合によっては組織的に行う「普通」の、「穏健」な、「テロ」とは何の関わりもない「善良」なフランスのイスラム教徒達の実態は、実際にはイスラム教徒が多数居住している地区に足を踏み入れたこともない裕福なリベラル派が脳内で思い描き、あるいは「政治的に正しい」報道が伝えるような姿とは大きく異なっているということが、疑いようもない「映像」として伝えられる。

他方で、この番組の随所で触れられるムスリム同胞団は、ヨーロッパの弱腰姿勢を利用し「平和的」にヨーロッパをイスラム教徒で埋め尽くすことで、かつてカールマルテルに阻まれ十字軍の勝利によって潰えた「ヨーロッパをイスラーム化する」という夢を再び実現しようとしているという説もある。

その真偽はともかくとして、実際にイスラム教徒人口はヨーロッパで着々と増大の一途を辿っており、元来キリスト教徒であった白人フランス人が急速に無宗教化していく中でほとんど使用されなくなったキリスト教会は徐々にモスクに建て替えられている。政治的正しさや選挙戦略に忙殺されている大学や政治家は、ほとんどテロリストとの繋がりが明らかだと噂されているムスリムグループをさえむしろ擁護し、直接被害にあっている病院や住民の「右派的」防御反応を批判しさえするのだ。

Houellebecq の予想通り、こうしてヨーロッパはイスラム教に「服従」していくのかもしれない。かつ、それは決して遠い未来のことではないかもしれない。20年もすれば、国教がイスラム教でない国はユーラシア大陸では東アジアだけになるかもしれない。

勿論、そんなのは右派の妄想であり、世俗的な倫理に則り善良な市民として暮らしているムスリムの方が圧倒的に多いという主張も荒唐無稽ではないだろう。

だが、問題はムスリムの中にも善良な人がいるのかいないのかではない。そんなのは、初めから答えの決まっている問いである。少なくとも一人は善良なムスリムが存在するというのは真理だ。だが、ここで問題視されているのはムスリムの中における危険人物の過度の多さであり、また少なからぬ在欧ムスリムの反西洋法的姿勢である。

別に西洋法に反するのがいけないのではなくて、西洋にいながら西洋法を軽視していることが、これは何かおかしいのではないかと思わせる点であろう。

そもそもイスラム教を国教としている、ムスリムにとって安全な国家は少なくない。本物の難民は仕方ないにしても、北アフリカ出身のムスリムは何故わざわざ自分が大切にしている信仰と矛盾する原則の下に統治されている国に滞在し続けているのか。何故母国に帰らないのか。

When in Rome, do as Romans do.

この格言はそんなに極右的なのだろうか。

もし日本もこのままなし崩し的に移民を解禁すれば、「軍靴の音」が聞こえる前に「神の名」の下に裁かれてしまうかもしれない。そしてその手段は必ずしもテロリズムだとは限らない。日常を少しずつ、しかし着実に変えていく穏健なムスリム達の底力を侮ってはいけない。

 

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