労働生産性を高めてはならないのは小学生でも知っている 電通「過労自殺」によせて

2016年10月15日 08:21

池田信夫氏が電通「過労自殺」事件にみる労働生産性の低さで指摘されているように、日本企業とくにそこで働く人々の労働生産性の低さは、由々しき問題です。今回は、これは企業だけの問題ではなく、はるか以前の学校教育から始まっているということを考えてみたいと思います。

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ほんとうは学力問題ではなかった教育問題

少し話が脱線するようですが、ゆとり教育から昨今のアクティブラーニングに至るまで、学力、もう少し正確に言うならば学習内容・方法についての議論が百出しました。私も実際に教員として教壇に立つまでは、学力低下が一番の問題だと思っていました。百ます計算をしたり、水道方式で授業をしたりしていました。

ゆとり教育に関しては、「ゆとり世代」学力低下はウソだったという指摘もあるくらいで、分析はそちらに譲ります。

私は、企業から学校に移ってしばらくしてからようやく、ほんとうの教育問題は、現在でもなんの疑問もなくつづいている教員による態度教育だったのではないかと考えるようになりました。たとえば、授業です。子どもたちは、おもしろくもわかりやすくもない授業を毎日6時間も聞いています。子どもたちの背筋は伸び、発言のさいは手を天に向けて、返事は大きい。こんな授業ができる教員が評価されます。実際に学力テストの結果が悪くても、授業態度のよい子どもをしつけられる教員が、よい教員とされています。(そういう先生はある種カリスマ性すらあります)

また、運動会などのさまざまな行事、日々の当番活動、部活動でも、その必要性とは別に、ある行為を例外なく確実にやらせる、ということが大切になってきます。目的はとにかく考えない、時間一杯やることが大事なんだ、みんなと一緒なのが大事なんだ、という心情を子どもたちに植え付けます。

 

「学校の掃除」の問題

学校の掃除もそうです。掃除が社会性や義務感をはぐくむという意見もあるでしょう。ですが、早く効率的に掃除をしようとすると、他の教員から叱責を受けます。掃除は時間一杯やるものだと。例えば、机を運ぶ順序やほうきのはき方、雑巾のかけ方を工夫すれば(カイゼンですね)、ものの5分たらずで終わってしまいます。しかし、掃除の時間は20分間です。とにかく20分間は全員でもくもくと掃除をしろということなのですが、これを幼い時分から10年間も繰り返せば、仕事は効率的にしてはいけないと思うのではないでしょうか。

宗教学者の島田裕巳氏も著書の中で「学校の掃除」の問題を指摘しています。

日本がこういう息苦しい社会になったのは、「学校の掃除」が原因だと私は思っています。日本の中高生たちは自由度がなさすぎます。学校では全員が軍隊のように掃除をさせられ、終われば塾、部活と24時間縛られ、主人のいない奴隷と化しています。(中略)学校では集団行動をとることを求められますよね。その象徴が掃除です。さぼれば叱られ、「みんなのために」を強要されます。小さいときから、自分のために生きるより、「みんなのために」が優先されるんです。

授業に関しても同様です。10分で分かってしまう子どもよりも、45分まじめに座って、意味のよくわからない板書を一言一句そのまま写し取る子どもを教員は評価します。これでは、生産性を高めようという芽は刈り取られてしまいます。

これは、小中学生のことだから、と笑ってはいられないと思います。会社でも同じことが起きています。

 

これが教育の“成果”

池田氏が指摘するように、電通社員が明け方まで資料づくりをしても、グーグルには絶対に勝てないという結果は、小学校、場合によっては幼稚園から叩き込まれた教育の“成果”なのです。

そして、今の現役労働世代は、ほぼ全員が学校教育を受けています。とくに大企業の正社員はその競争の勝者です。果たして、学校教育が生産性を低くするように誘導しているのか、企業がそういう人材を求めているから学校教育がそうなるのか、どちらが先なのでしょうか。

日本の労働生産性を低める営みは、入社のはるか以前から始まっているのです。そして、その生産性の低さが、人を死に至らしめることも自覚しましょう。一連の態度教育が、子どもたちに「生産性を高めてはいけないんだ」と刻印していることに、教育関係者はもっと意識的にならないといけません。まあ教員は労働生産性という言葉からいちばん遠い人たちなんだけどね。

 

中沢 良平(元小学校教諭)

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