ミスコン中止の慶應大の実態と日本の「ノリ」文化

2016年10月24日 11:30

慶應の広告研究会が起こした不祥事によってミスコンが中止になったというニュースには、仮にも一度は慶應大に籍を置かせていただいていたことのある私にとってはショッキングなものだった。

とはいえもう一年も前に既に中退してしまっている以上、今現在学内で何が起こっているのかはもはやわからない。否、私は慶應在学中でも「広告研究会」のような「華やか」なサークルやそれに関わる人々とはほとんど関わりがなかったので、仮にまだ慶應で学んでいたとしても結局私には何も具体的なことはわからなかっただろう。

だが、そんな「ノリ」の悪い私でも慶應在学中に多少の噂話程度は聞いている。またwedgeからこれに関して興味深い分析をしている記事が出ていたので、これらを踏まえてこの機に「最近の慶應生」の実態の説明及びこのスキャンダルの考察を簡単にしたいと思う。

まず、慶應生の実態からいこう。上のリンク先の記事では仲間内の「ノリ」がエスカレートする形で常軌を逸した事件が引き起こされるのではないかと分析しており、twitterなどで問題のある投稿を繰り返す早稲田や慶應の学生と思われる人物の投稿の一部が紹介されている。

この分析自体は正しいと思うが、ただ私自身はそんなことをしている人には一人も会わなかった。確かに一部にはtwitterで女子学生を口説いたりする「チャラい」人もいるという話を聞いたが、その噂だけでも十分に他の学生は「引いて」いた。

また、慶應大が相当な数の学生をAO入試や内部進学で入学させていることはよく知られているが、実際には「外部」受験生と内部生の差はそんなに驚愕するほどではない。

むしろ、内部生の中でも湘南藤沢高校やニューヨーク学院出身の人々の中には非常にレベルの高い英語力を持つ帰国子女も多数いて、稀に英語のみならず中国語やフランス語など英語以外の外国語にも長けた人などもいるなど、内部生には一般的な外部生とは異なる種類の「優秀さ」を持つ人も少なくない。

幼稚舎出身の生粋の「慶應ボーイ」は羨望の対象であると同時に不祥事の際等には最も批判を集めるが、実際には幼稚舎出身者のほとんどはまるで中高の部活のように厳しい練習を課すような体育会系の「部活」に入部しており、同級生と遊ぶどころか授業に出るのにさえ先輩の許可が必要というほど徹底した上下関係の中を生きている。彼らに「花より男子」のF4ような人物像を重ね合わせるのは偏見に過ぎず、実際には人当たりの良い普通の運動部系の学生がほとんどだ。

AO入試で入る学生も多くは非常に真面目である。実は、一般的に言って大学入学後の成績に関しては一般入試で入った者の方がその他のグループよりも悪い。部活で忙しい幼稚舎組は若干不利ではあるが、AO入試組や部活に所属していない内部生の成績はむしろ良い方だ。

というのも、慶應には最初から私立専願の人も少なくないとはいえ、東大まであと1点未満の差で届かなかったというような人も一人や二人ではなく何人もいるが、その多くはどこかの時点で「仮面浪人」を決意し、一人、また一人と徐々に離脱していってしまうのだ。その過程で大学の講義に身が入らなくなり、成績不振に陥る人も決して少なくない。

だが、このように多種多様な慶應生を敢えてひっくるめて何らかの型にはめるとすれば、特に文系の大部分は一年生の頃から資格予備校に入ったり、就職に向けて何らかの活動をはじめたりと、社会に出るための準備をする人が多いという点で、所謂「意識高い系」が一番ぴったりくる。

また思想的にはもっと華やかな所謂「リア充」タイプの人を含めて非常に「リベラル」な学生がほとんどだ。つまり、彼らの多くは日本における「女性差別」の実態を問題視していたし、安倍政権の「改憲」には反対する声が多かったし、北欧の福祉政策を賞賛する声も多かった。

私の知る限りの「慶應生」の実態は以上のようなものだ。決して特別異常な点は見受けられなかった。

だが、他方で今回世間を騒がせた「広研」の不祥事ようなことが起こる土壌が全くなかったかと言えばそれは嘘になる。

私はもちろん「ミスコン」や「広研」には関わったことはないので具体的に個別の団体の内情はわからないが、一般的に慶應で見られる「華やか」な集団の内部の「ノリ」というのは確かに一種の異常性を帯びている。

また、「テニサー」などの所謂「チャラい」サークルとして知られているグループに関する噂は絶えないし、かつそれが通常の性関係のゴシップに留まる程度であれば誰も驚かない。もっともそれは別に慶應に限ったことではない。実際東京の20代の学生の集まりなど、どれも似たり寄ったりで区別がつかない。

だが、この「ノリ」の背景には何があるのか。学生たちは何に脅迫されてこんな洒落にもならない茶番を演じているのか。

私が見た所、これは単に慶應、あるいは「学生」の問題にとどまらない、現代日本の文化そのものに根ざす問題である。例えば、上に挙げたリンクには、こんな書き込みが引用されている。

 「女子小学生がたまらんかわいすぎて20になって顔写真付きで報道される前に逮捕覚悟で誘拐したい」

このような、西欧の大学でなら仲間内でも決して口にできないようなことを平気で口にすることができる「自由」が、良くも悪くも日本にはある。(ちなみに英語圏ではこんな書き込みは決して許されないので、同じ内容を文法ミスなく英語で書けばtwitterのアカウントを停止させられるはずである。)その自由があくまで自律的な個人の自由意志に委ねられているならこれを個人の道徳観の問題に帰することもできるだろう。だが、問題はこの種の「自由」を行使することが、それに対する規制がないことを理由に事実上「空気」に強要されることがあり得るという点だ。個人の倫理観は、集団の「ノリ」の前ではほとんど何の力も持たないことはナチスやファシズムの歴史が証明している。

何も歴史を参照せずとも、卑近な日常の場面でも類例には事欠かない。

例えば会社員の「飲み会」の強制力。ここでも「ノリ」の重要性は非常に強調される。大人達は酒を飲みたがらない若い学生に対して「甲斐性ねえなあ」などと憎まれ口を叩いていないだろうか。

例えばバラエティ番組の「お笑い」の中において「芸人」に事実上強制される精神的あるいは肉体的苦痛の積極的受忍。視聴者にとってさえ見ていて気分が悪くなるような「ノリ」を、その被害者でありながら平気で受け入れてしまう若手芸人達は、果たして今自分たちがやっている(あるいはやらされている)ことが西欧では大スキャンダルになりかねない異常なことだと自覚しているのだろうか。

例えば職場などにおける喫煙の強要。無論表立って強制する企業などないだろうが、それでも「就活生」が「空気を読んで」吸いたくもないタバコを無理して吸っていることを、「大人」の側はどう受け止めているのだろうか。

こういう類の「ノリ」の文化の延長に、今回の慶應の不祥事はあると私は捉えている。就活に強く、意識の高い慶應生だからこそ、こういう「ノリ」を学生のうちから積極的に身につけているが故の悲劇なのではないだろうか。

あまり日本の欠点を西欧と比較してあげつらうようなことはしたくないが、この「ノリ」文化に関しては今現在でも多くの若者を事実上苦しめている可能性がある、と私は慶應大の不祥事や東大出身の電通社員の女性の自殺を受けて判断したので、敢えてここで問題提起させていただくことにした。

西洋の「政治的正しさ」を受け入れろなどとは口が裂けても言うつもりはないが、「楽しい」時でもある程度の節度を保つことで防げる悲劇もあるのではないだろうか。

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