人間の判断

今月初旬、羽生善治さんは第64期王座戦五番勝負を3連勝で王座5連覇を果たされ、通算24期目の王座獲得、7大タイトル獲得数を97期とされました。7大タイトルの同時保持という歴史的偉業を遂げられて20年が経ちますが、羽生さんは当時ある対談記事で次のように言われていたようです――本当に考えても分からないことは1時間考えても、2時間考えても分からないことが多く、考えが堂々巡りしている感じですね。それでなかなか決断がつかなかったりします。どちらもよさそうなときは特に決断しにくいですね。

企業経営でもそうですが、最初から答えが分かっているようなことはありませんし、分かっていると思っていても全く違った結果が生じてくることなどよくあることです。常に連続する環境変化の中でディシジョンメイキングの正否を考えてみると、例えばある時点では世の変化をある意味先取りした正しい道を選んだと思っていても、結果において“too early”だったということもよくあります。

従ってそもそも迷うという必要すらもなく、「此の世はあらゆることが常に不確実だ」との前提認識を持つべきだと思います。物事の殆ど全てが成功するかのように思われる人は結構いますが、そういう人に対し私は何時も、「十のうち一~二つが思い通りに行ったら御の字です。ひょっとしたら百のうち一つしか思い通りにならないかもしれない。事が計画通り上手く行くというのは、それぐらいの世界なんですよ」といった具合に「失敗するのが当たり前」と話しています。

ある人は不確実性と言って想定外の事態に大慌てするのかもしれませんが、元々成功する確率なぞ極めて低く上手く行く方が珍しいわけですから、常に「策に三策あるべし」としてA案が駄目ならB案、B案が駄目ならC案というように少なくとも三つ位は用意しておくことが大事だと思います。『書経』の中にも「有備無患(備え有れば患い無し)」とあるように、私の経営もそういう形で行っています。

また、A案かB案かC案か徹底的に考えに考えた挙句、結局一本に絞り切れないとなったらば「もう天に任せて行こう」とか、「ではABCと順番に行こう」という位の度胸を持たなければ駄目でしょう。要は未知の事柄に対して決断して行く場合、先ずはA案・B案・C案といった選択肢を持ちながら第一の手を決することが必要で、決めた後は勝機を失わないようその道を必死になって前進し、世の変化を洞察しながら臨機応変に軌道修正もして行くことが肝要です。

豊臣秀吉の軍師として活躍した黒田如水は「分別過ぐれば、大事の合戦は成し難し…考えすぎると決断力が鈍り、結局は勝機を失してしまう」という言葉を残したと言われています。『孫子』に「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るを況んや算無きに於いてをや」とあるように、そもそも勝算なくして勝ち目はありませんが、ある程度の勝算があれば、とにかく全身全霊を傾けて前に進み、勝機を失すべきではありません。

「勝負は時の運」であって、その中で臨機応変に方向転換もして行くべきで「状況が変われば、それに応じて変われば良い」のです。『易経』にあるように「窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず」です。状況をよく見つつ様々な事柄を試してみて初めて、結論が出るということもあるわけです。ひとたび状況が暗転したらくどくど言い訳するとか、あるいは何が起こるか分からないと言って何もしないのではなく、誤りを認識したその時直ぐに代替案に移行できる柔軟性こそ大事なのです。

最後にもう一つ、概して判断の多くは理詰めでやったつもりでも理詰めになどなっていないものです。本来様々に考慮せねばならない沢山の事柄が抜け落ちているのが殆どですから、基本的には「エイヤー」の世界なのです。但し「経験知」を重ねる中で直観力が向上し、より良いパフォーマンスが出せるようなって行くケースが多々あるのも事実です。

羽生さんの言葉を借りて言うならば、之は経験によって羅針盤の精度が段々上がって行くイメージです。そもそも人間の判断など何時も正しいとは限らぬものです。かなり成功確度が高いスピーディーな判断を下すには、経験知を上げることで同時に直観力が練磨されてきますから、やはりある程度歳を重ねた方が良いのではないでしょうか。

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