何のために人と繋がるのか

日本経済新聞に先々月20日、「会社員の人脈作り、内向きに 民間調査」という記事がありました。此の記事は、住友生命保険による『「ビジネスパーソンと“ネットワーク”」アンケート実施結果』に基づくもので、20年前の調査に比して下記等が書かれています。

<質問1> あなたが持っているネットワークは次のうちどれですか。⇒『社外の異業種の人達』の減少(65.1%→22.1%)が特徴的。
<質問2> あなたが最も大切にしているネットワークは何ですか。⇒『社外の異業種の人達』の減少(38.0%→11.0%)が特徴的。
<質問3> 今後、自分の持っているネットワークをどうしたいと考えていますか。⇒『今のままで十分』の伸びが顕著(26.6%→61.4%)。

上記の一タイムスパンの結果で以て、それを傾向として捉えられるのか、また今後も趨勢的にそうなって行くか否かは分からないですし、私からすると寧ろ何故こうした類の調査に時間を費やすのかが殆ど理解できません。外向きなネットワークが良いと言うのでしょうか。随分とグーグルやツイッターといったソーシャルメディアの御蔭で外の情報を取れるようになったと思いますが。

此の情報洪水の時代、あらゆる情報を社の内外を問わずして様々なネットワークから取捨選択的に吸収し、所属する会社の現状認識等に活かして行けば良いでしょう。如何なる人脈であれ自分に有意だと思ったら、積極的にそれを作って行けば良いでしょう。

尤も、人間というのは他によって生かされている存在であることに違いなく、竹林の七賢人の如く自分だけ孤立して孤独の中に生きて行くのは間違いだと思います。「人間は社会的動物である」とアリストテレスが言い、「人間は常に弧に非ずして群である」と荀子が述べている通り、要するにというものは他人や社会の干渉なしには存在し得ない、自分一人では生き得ない動物なのです。ですから、自然と仕事や日々の生活を通じて他の人との付き合いは増えて行くものです。

私は、人脈という言葉自体余り好きではありません。それは、何かガツガツしたようなイメージがしないでもないからです。勿論、人と交わるということ自体は、それはそれで大いに結構だと思います。仏教では「多逢聖因…たほうしょういん:色々な良い縁を結んで行くと、それが良い結果に繫がる」ということが言われますが、色々な人に御縁を頂くことが正に「縁尋機妙…えんじんきみょう:良い縁が更に良い縁を尋ねて発展して行く様は、誠に妙なるものがある」に繫がって行くからです。

大事なのはやはり、何を目的に人との繋がりを持つかという、その動機にあるわけです。単に仕事が上手く行きそうだからと近付いて行くような輩や、あるいは何らか利権を求めて近寄って行く類の人間に成り下がることがないようにすべきです。自分自身を更なる高みへと導くに「是非この人と!」という交わりこそ求めるべきでしょう。

私の場合だらだらべったりと付き合うのではなく、基本「淡交」ということ、即ち『荘子』の言葉「君子の交わりは淡きこと水の如し」が大事だと思っています。また『論語』の「公冶長(こうやちょう)第五の十七」に「久しくして之れを敬す」という孔子のがありますが、長く付き合えば付き合う程尚一層相手を尊敬するような「久敬の友」との交際を深められたらと思います。

知り合いの数などというものは「多きを以って良しとせず」で、真に自分にとって人間としての成長にプラスに働くような付き合いを、どんどんと広げて行くのが良いのではないでしょうか。

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