スポーツの「見えざる大陸(金脈)」に気付くためには

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オリンピック・パラリンピックを機に産業としてのスポーツのあり方が問われる(写真ACより:編集部)

「アスリートファースト」という言葉は最近日本でもオリンピックの文脈で良く耳にする言葉になっています。しかし、(ツイッターでもつぶやきましたが)日本での「選手第一」は、非常に視野の狭い、顧客視点を欠いた独善的な使われ方をしているケースが多いように感じています。

これは、小池東京都知事が立ち上げた都政改革本部で特別顧問を務める上山信一慶応大学教授が、東京五輪にかかる予算見直しを行っている調査チームの報告から見えてきた事実を説明しているご自身のブログでも触れている点です。

ちなみに「アスリートファースト=立派な施設建設」という勘違いは日本特有です。なぜなら日本では建設費はもちろん運営費や維持費の大半を役所が税金で負担してきた。だから甘えがあるのです。でも海外では受益者がコストを負担するのがふつうです。

日本でも、今後は競技団体に受益者負担を求めていく、つまり大会後の施設運営コストを分担していただく時代になるでしょう。また、それに向けて都庁は施設建設費のみならず、大会後の施設の維持運営費、利用見通し、大規模改修費などを前広に都民に情報公開していくことが大事です。

僕もスポーツ業界で飯を食っている人間なので、できれば東京オリンピックも成功してほしいし、それを機にスポーツ界が健全に拡大成長していくことを願っています。ですから、あまりネガティブなトーンを投げかけたくはないのですが、少なくともスポーツ界は当事者としてこうした真っ当な疑問に対して、情ではなく、論理と数字で答えなければならないと思います。

スポーツは日本を再興するか?」でも書いたように、政府はスポーツをアベノミクスの成長戦略の柱の1つに据えており、東京オリンピックを機に成長産業として拡大していくことが期待されています。しかし、そのためには、各競技団体は「選手第一」「レガシー」を金科玉条の合言葉に助成金を陳情するだけの組織から脱却しなければいけません。それができなければ、サステナブルな産業にはなりません。

明治になってスポーツが日本にもちこまれた際、学校教育制度をその受け皿にしてしまったのが、日本におけるスポーツの基本的なDNAになっています。日本独特の武道の精神と相まって、スポーツは主に自身の身体や精神を高める自己研鑽のツールとして活用されることになりました。

スポーツでは、「プレー(Play)する」という言葉が文字通り示すように、やる本人が楽しむ、そしてそれを見る人も楽しむというのが基本的な発想です。しかし、教育と結びついた日本では、その部分がカットされてしまいました。この考えが、今の「アスリートファースト」という言葉のルーツなのかももしれません。

スポーツの産業化を考える時、この「選手第一」の考え方は様々な弊害を生みだす恐れがあるので、気を付けて使う必要があると思います。

まず、顧客(見て楽しむ人)を想定していないので、「誰に」「どのような価値」を提供することにより「どうマネタイズするか」という発想が希薄です。その結果、いきおい「強いチームを作り、結果を残せばお客さんは入るだろう」という強化一辺倒の罠に陥りがちになります。そうなると、組織の幹部は元選手や元メダリストで占められるようになり、組織から成長に不可欠なダイナミズムが失われてしまいます。

確かに、強化は重要ですし、チームや選手が強ければ注目されますが、チームや選手のパフォーマンスは完全にコントロールできません。勝つ可能性を高めると当時に、勝利から得られる好循環でキャッシュを生み出す事業の備えが不可欠です。「強化」と「事業」の両輪がなければ、せっかく勝利を掴んでも、それをマネタイズし組織の拡大再生産に生かす機会を逸することになります(泥縄式)。

選手の意識も「競技場で最高のパフォーマンスを出すこと」に先鋭化してしまうため、ファンサービスや地域貢献活動、広報活動などは「練習や試合の合間に行う面倒くさい活動」のように理解されてしまい、ビジネスチャンスを逃してしまいます。プレーすることだけが目的となるため、当然引退後のセカンドキャリアへの備えも遅くなります。

スポーツが武道的な文脈でたしなまれ、それが学校の部活カルチャーに強固に取り込まれているため、競技間の壁も厚くなります。同時に複数のスポーツをプレーすることはタブーとなり、1つの競技を1年中プレーすることになります。1つの競技に特化すると、複数スポーツを同時に行う場合に比べて、スポーツによる怪我やバーンアウトのリスクが高まったり、運動選手としての能力開発が限定的になることが知られています。

また、基本的に野球出身者は野球しか、サッカー出身はサッカーしか見ないし応援しないため、ファン基盤も競技ごとにタコツボ化してしまいがちです。結果、市場も狭くなります。競技団体の経営にも、基本的にその競技出身者が多数を占めることになり、「日本スポーツ界の成長阻害要因であるドグマ主義的経営をどう解きほぐすか?」でも書きましたが、経営方針もドグマ化しやすくなり、ダイナミズムが失われがちになります。

僕は、武道や教育と結びついたスポーツのあり方を一概に否定する者ではありません。それはそれであっていいと思います。しかし、本気でスポーツの産業化を目指すのであれば、今までの発想を大きく変える必要があると思います。

しかし、逆説的ですが、顧客視点に発想を転換すると、今まで見えなかった大陸(金脈)が見えて来るはずなのです。「選手第一」(プロダクトアウト)から「顧客第一」(マーケットイン)に視座を変えると、「スポーツの価値は競技をプレーすることから生まれる」という前提からひっくり返るかもしれません。そして、実はこれが今世界のスポーツ界で起こっていることなのです。

例えば、顧客視点から見えてくるスポーツの新たな付加価値の例として、スポーツCSVが挙げられます。米国では、NBAを筆頭にスポーツの持つ公共性や社会性といった特性を生かし、それを事業の主軸に据えるという動きが生まれてきています。プレーするだけがスポーツの価値であるという時代は終わりを告げています。しかし、残念ながらこのパラダイムシフトは「選手第一」という視点からは見えません。

僕も10年くらい前から米国でこうした動きをみるにつけ、日本のスポーツ界は本当にもったいないな、まだまだ大きな可能性が眠っているな、いつか同じようなムーブメントを起こしたいなと思っていました。そして、ついに東京オリンピックが大きな引力になり、日本でもスポーツの社会における存在感がかつてないほど高まっている今、まさにこうしたパラダイムシフトが起こる兆しが見えてくるようになりました。

是非、世界のスポーツ界に出現した「見えざる大陸」を日本の多くの皆さんにも知ってほしいと思います。そして、世界に前例のない少子高齢化社会を迎えるにあたり、スポーツが社会課題を解決する主体になりえ、ソーシャルセクターとスポーツが共に持続的な成長を果たせる仕組みをもっと深く学びたいと思っています。

幸運にも、ここ1年くらいで様々なご縁に恵まれ、こうした志を共にする仲間に出会えたことで、12月16日(金)に以下のカンファレンスを開催させて頂くことになりました。是非、この機会にスポーツの新たな可能性を共有し、その有効活用の方法を一緒に考えていくきっかけにして頂ければと思っています。

場所は渋谷の国連大学で、入場無料です。昨日から告知を始めたのですが、あっという間に100名近い方からご応募を頂いています。個人的にはライツホルダーや代理店などスポーツの「中の人」にも是非来て頂きたいと思っています。師走で忙しい時期ですし、ご興味のある方は是非お早めにお申し込み下さい!


編集部より:この記事は、ニューヨーク在住のスポーツマーケティングコンサルタント、鈴木友也氏のブログ「スポーツビジネス from NY」2016年11月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はスポーツビジネス from NYをご覧ください。