フランス次期大統領候補がフィヨン氏であることの意味

2016年11月21日 11:30

前回述べた通り、本日フランスで共和党の予備選挙投票が行われた。

現段階ではフィヨン氏が圧倒的に優勢

まだ完全に集計結果が出たわけではないが、既にLe Monde紙ではフィヨン氏が大差で優勢なのでジュペ氏が勝てる可能性は極めて低いと報じている。またサルコジ氏自身は既に敗北宣言し、自身の支持者に対してフィヨン氏を応援するように呼びかけている。

先のLe Mondeの記事によれば、今回の予備選挙で鍵となったのは、「どの候補ならFNのマリーン・ルペン氏に勝てそうか」という点である。共和党の有力候補であったジュペ氏、サルコジ氏、フィヨン氏の三氏はそれぞれ異なる戦略を展開していたが、左派や中道派の支持を一手に集める戦略を取るジュペ氏、逆にFN支持層にアピールし右派層を固めようとしたサルコジ氏に対して、伝統的なカトリック道徳に重きを置きつつも一定のリベラルさをも兼ね備える正統保守政治を主張したフィヨン氏が結局今のフランス人の心を掴んだ、とのことだ。

FNや左派等はさておき、共和党内部では最もポピュリスト的傾向の強いサルコジ氏が惨敗したこと、また逆にリベラル派から見て最も歓迎すべきジュペ氏が苦戦していることは、フランスの政治的状況の英米とは異なる特殊性を露呈していると言えるだろう。

英米では政治経験の少ない、変わり種のような「泡沫」候補が案外当選まで行ってしまったりすることが実際に起こるほど、「現状の政治」に対する不満や失望、あるいは無関心が広がっているのに対し、今回のフランスの予備選挙には非常に多くの有権者が投票を行い、今日一日で既に投票者数は三百万人にのぼるのではないかと推定されている。しかも彼らは、リベラルなジュペ氏でもポピュリストのサルコジ氏でもなく、伝統的保守政治家のフィヨン氏を応援しているのだ。

フランス人の一般保守層はリベラルにも左翼にも飽き飽きしているかもしれないが、かといってポピュリズムに身を委ねられるほど政治というものを軽く見ていないし、アメリカのような面白い「劇場」を求めてもいない。彼らは実は革新的な考えよりも伝統的な(=カトリック的な)道徳規範を維持することに関心があり、またあまり急進的な改革を求めてもいない。

フランスの経済状況は決して良いものではない。テロリズムの脅威は消えてなどいない。難民問題や英国のEU離脱の衝撃にどう対処するかということに関してもはっきりとした方針が出ているわけではない。先行きは全くわからない。それでも、FNはダメだ。社会党もダメだ。リベラリズムの行き過ぎもダメだ。となれば、回帰すべきところは伝統的カトリシズムの規範しかない、というのがフランス人の大方の考えのようである。

フィヨン氏優勢が意味すること

一見フランス国内の動向など世界に何の衝撃的影響も与えない些細なことだと思われる方もあるかもしれないが、フランスの知識人がさらに「右傾化」するサルコジ氏を見捨ててフィヨン氏に傾き、かつルペン氏を何が何でも大統領にしたくないと考えているということはある重要なことを示唆する。

それは、フランスと英米の政治イデオロギーを巡る根本的違いである。この違いが日本人にとって重要なのは、この点に関して日本はフランスの側に立つ立場だからだ。

つまりどういうことかというと、イギリスもアメリカも第二次世界大戦において最初から最後まで国家丸ごと完全に枢軸国と敵対した「正義」の側でありつづけることが出来た国だということである。従ってイギリスやアメリカにおける「極右」は、特に国内で歴史的タブーとされるいかなる象徴とも結びつけられることはない。トランプ氏はトランプ氏でしかなく、「ヒトラー」や「ナチス」をリアルに想起させることはない。否、英米人はそういう全体主義の恐怖の感覚をほとんど持ってさえいないだろう。

だがフランス人は違う。戦勝国とはいえ、パリ周辺のフランス北部はナチスに支配されており、南部はVichy政権の支配下にあった。その中で少なからぬフランス人がナチス政権に協力(collaboration)し、現在のフランス語では「協力者」(collaborateurs)というのは非常に侮蔑的で非難の意図が込められた蔑称となっている。フランスはあまりこのことに触れたがらないが、フランス人にとって「人種差別」(racisme)や「反ユダヤ主義」(antisémitisme)というのはドイツ人にとってと同程度に大きなトラウマである。FNが嫌われる原因の一つにも、FNの政策やJean-Marie Le Pen氏の言動等に「協力者」の影を見てしまう人が多いせいでもある。

また、ドイツ人は戦後自国の文化を真っ向から否定し、「伝統」を邪悪な迷信と断じ、伝統を守ろうとする「保守主義」を弾劾し「革新」を続けることに新しい「ドイツ人らしさ」を見出すという道をとったが、フランス人にそんなことは無論できない。フランスの伝統は戦時中という僅か数年の期間のトラウマの為に全否定してしまうにはあまりに豊かであるし、何よりそれはフランス的なプライドが許さない。そこでフランス人は「伝統」の中の「邪悪」な要素を意図的に無視し、「誇りある伝統」の系譜から排除しなければならなかった。

こうしてフランス革命こそ偉大なフランスの伝統であり、間違っても絶対王政はフランス的ではない、という進歩史観に基づく見方が加速度的に普及していく。ルソーやヴォルテールなどの啓蒙主義思想家こそがフランス的であり、間違ってもドメーストル(Joseph de Maistre)やボナール(Louis de Bonald)がフランス的思想を代表するのではない。ましてゴビノー(Arthur de Gobineau)など論外である。フランス的保守主義とはモンテーニュ(Michel de Montaigne)やトクヴィル(Alexis de Tocqueville)のそれであり、これより「右」は全て「極右」であって排斥の対象である、等々。

こうして左側に歪められたフランスの「伝統」を元に戻すことは容易ではない。フィヨン氏が回帰しているのは、勿論トクヴィル的な正統「リベラル」保守であり、これ以上「右」には行くことは現代フランス人の知性が躊躇する。アメリカ人やイギリス人ならそこまで躊躇する必要のないところで、フランス人は止まってしまう。

同じことは日本にも言えるかもしれない。日本はフランスと違ってそもそもそこまでリベラル化もしなかったし保守主義に対して否定的にもならなかったが、それでも「全体主義」や「帝国主義」、あるいは「軍国主義」というワードは日本の「保守主義」の倫理的限界を定める役割を十分に果たしている。憲法、その中でも特にリベラルな西欧人から見ても奇怪な「9条」が70年以上経ってもいまだに変えられないのはその証左であろう。

英米が「戦後レジームからの脱却」を早々に実現していたとしても、フランスや日本、ドイツ、イタリア等にとってはこれはそう簡単なことではないかもしれない。FNのマリーン・ルペン氏は、この厚い壁を超えられるだろうか。また日本はトランプ氏のアメリカの下でなら憲法を改正できるのだろうか。第二次大戦の「加害者」側であるという自覚を多少なりとも持つ日仏独伊の四国の今後の動向は、英国のEU離脱に始まる21世紀の政治的「大転換」の性格を最終的に決する要となるだろう。

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