3人の法王と交流したカストロ氏

長谷川 良

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長(1926年8月~2016年11月)は25日、同国の首都ハバナで死去した。90歳だった。遺体は本人の希望もあって26日、火葬された。

▲キューバ革命の主人公、フィデル・カストロ前議長(ウィキぺディアから)

▲キューバ革命の主人公、フィデル・カストロ前議長(ウィキぺディアから)

キューバの政治実権は実弟のラウル・カストロ議長(85)に既に受け継げられている。前議長の死去が報じられると世界各地でさまざまな反応が聞かれた。「革命の英雄」を称賛し、前議長の死去に哀悼する声から、「独裁者は去った」といった歓喜の声も聞かれる。

ところで、カストロ前議長は生前、3代のローマ法王と会っている。ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)、ベネディクト16世(2005~13年)、そしてフランシスコ現法王(2013年~)だ。共産主義者であり、無神論者だったカストロが3代のローマ法王と会合し、親しく交流していたことは興味深い。
カストロ前議長は旧ソ連・東欧諸国の共産党政権とは異なり、ローマ・カトリック教会との関係を断絶することなく、キューバとバチカン両国の国交は81年間、続いてきた。バチカン放送は26日、カストロ前議長と3代のローマ法王の交流記を掲載している。

フィデルはスペイン系移民の農業主の息子(婚外子)として生まれ、若い時代、ハバナのイエズス会の学校で教育を受けている。カストロ氏は1959年、独裁者フルヘンシオ・バティスタ政権を打倒してからほぼ50年間、キューバの政権を掌握し、2008年に実弟ラウル・カストロ現議長に政権を移譲した。

オバマ米大統領はキューバとの国交回復を実現させたが、その際、ローマ法王の調停に感謝を述べている。南米出身のフランシスコ法王の昨年9月のキューバ訪問を示唆したものだが、バチカンの対キューバ外交はヨハネ・パウロ2世時代から始まっている。

共産政権下のポーランド出身のヨハネ・パウロ2世はカストロ前議長をローマに招いた最初の法王だ。その2年後の1998年、同2世はキューバを訪問した。その直後、カストロ前議長は国内でクリスマスの祝祭を認め、政治囚人を釈放している。
その後継者ベネディクト16世は2012年キューバを訪れている。カストロ前議長はヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世の2人の法王と計6回会合している。フランシスコ法王は昨年カストロ前議長と会合した時、前議長から 解放神学者Frei Bettoの著書「フィデルと宗教」をプレゼントされている。

ヨハネ・パウロ2世は1998年1月21日、ハバナでカストロ前議長と会った時、「キューバは世界に向け、その偉大な可能性を開き、世界はキューバに対して同じように開かれますように」と述べている。
カストロ前議長は「我々の革命には反宗教の精神はない。聖職者を弾圧しない」と述べたが、この点は事実と反する。カストロ氏は政権を掌握すると、教会を弾圧し、教会系学校を閉鎖し、2500人の神父や修道院関係者を国外追放している。

ブラジル出身の解放神学者レオナルド・ボフ氏は26日、「カストロは最後まで社会主義に忠実だった。彼の中にはイエズス会で学んだ内容が最後まで深く刻み込まれていた。彼はキリスト教の伝統をよく知っていた。彼は晩年、超教派問題に強い関心を寄せていた」と語っている。

なお、キューバの人権運動グループ「白い服の女性たち」は27日、「カストロの死がキューバに政治的変化をもたらすとは思わない。一人独裁者が減っただけだ。ラウルも兄と同じ独裁者だ。真の民主化はカストロ家が権力から追放された時、訪れる」と主張している。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年11月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。