国民投票は政治家の命取りにも

欧州で今年に入り3回の国民投票が実施され、いずれも国民投票を呼び掛けた為政者が敗北を喫し、退陣、辞任、政治的後退を余儀なくされた。国民投票は政治的改革を実行する上では理想的な手段ではない、といった声が改めて高まっている。

3件の国民投票を振り返る。

①イタリアで今月4日、憲法改正を問う国民投票が実施された。結果は反対59・1%で賛成は40・9%にとどまった。国民投票の結果を自身の信任投票と表明してきたレンツィ首相は5日夜、国民投票の否決を受け、マッタレッラ大統領に辞意を伝えた。レンツィ首相は大統領の意向を受け、来年度予算案の成立まで政権に留まることになったばかりだ。

レンツィ氏が推し進めてきた憲法改正は、政治の安定化を目指し、上院の権限を縮小することだった。国民投票の結果、ユーロ圏3位のイタリア国民経済の行方に不安が広がっている。

②ハンガリーで10月2日、欧州連合(EU)の難民収容分担案への是非を問う国民投票(有権者数約830万人)の投開票が行われたが、投票率は約39・9%で有効投票率50%からはほど遠く、オルバン政権が推進してきた国民投票は無効となった。ただし、EUの難民受け入れ分担案に対して約98・3%の国民(有権者約320万人)が「反対」を投じた。

オルバン首相は2日夜、ブタペストで与党「フィデス」の支持者を前に、「われわれは偉大な成果を勝ち取った。ブリュッセルにとってもそのダメージは大きいだろう。ブリュッセルはハンガリー国民の意思を無視できない。主権国家では国民は誰と一緒に住みたいかを決定する権利を有している」と説明し、国民投票の成果を強調した。オルバン首相は国民投票をブリュッセルの官僚主義に対する挑戦と位置づけて国民に呼びかけてきた。
オルバン首相の与党フィデス党の横行に苦い体験を重ねてきた野党側からは、「国民投票が無効となった以上、オルバン首相は退陣すべきだ」という要求が聞かれるという。 極右派政党「ヨッビク」のヴォナ・ガーボル党首は、「オルバン首相のオウンゴールだ。個人的に敗北を喫した」と述べた(「39・9%のマジャール人の『反対』」2016年10月4日参考)。

③英国民は6月23日、EUからの離脱か残留かを問う国民投票を実施した、その結果、離脱派が51・9%を獲得して勝利した。残留派で国民投票の実施を呼びかけたキャメロン首相は24日、敗北を認め、引責辞任を早々と表明した。

離脱決定後、英国は離脱決定をブリュッセルに通知するのを躊躇し出し、「われわれはEUに留まりたい」という声がロンドン都市部を中心に高まっていった。残留派は執拗に国民投票のやり直しを要求し、請願書を送り続けている。あたかも23日の国民投票の決定は国民ではなく、欧州に彷徨う亡霊が国民の意思に反して離脱の道を強いたと主張しているようにだ。

国民投票の問題点については、英国のEU離脱直後のコラム「誰が英国のEU離脱を決定したのか」(2016年6月30日)の中で書いたのでここでは繰り返さない。明確な点は、為政者がリベラルか右派かの区別はなく、国民投票は為政者にとって理想的な政治手段とはならないばかりか、時として政治生命すら危険に陥れるということが分かる。上記の3件の共通点は、国民投票で勝利できるという為政者側の過信、驕りがあったことは間違いないだろう。

蛇足だが、国民投票が如何なる結果をもたらすかを学ぶための最高の場所がある。オーストリアの二ーダーエスタライヒ州のドナウ河沿いの村、ツヴェンテンドルフだ。そこには同国で初めて建設され、同時に最後となった原子炉(沸騰水型)の残滓が見られる。
クライスキー政権は1978年11月5日、国民の間から原子炉の操業開始反対の声が高まってきたことを受け、その是非を問う国民投票を実施することを決定した。同政権は国民投票を実施しても原子炉の操業支持派が勝つと信じていたが、約3万票の差で反対派(50・47%)が勝利した、その結果、総工費約3億8000万ユーロを投資して完成した原子炉は即博物館入りとなった。クライスキー政権にとって、国民投票の結果は文字通り“青天の霹靂”だった。

ツヴェンテンドルフを見れば国民投票が何をもたらしたか、空論でなく、実体で知ることができる。国民投票を実施したい、という欲望を感じた為政者は実施前にツヴェンテンドルフを一度訪れたらいいだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年12月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。