「9と9.0」に見る日本式官僚養成型教育の陥穽

2017年01月04日 06:00

小学校における「教育」の奇矯さが近年話題を集めている。子供の答案に対する先生の「訂正」に疑問を持った両親がインターネットにその「おかしさ」を公開するようになってきたことで、ようやくこの問題が白日の下に晒された。これまで、「大人」が「先生」という立場を利用して物言えぬ「小学生」に対し無用な知的暴力を加えてきたのが、ようやく改善される兆しが見えてきたのかもしれない。

小学校における奇妙な「指導」が「エリート層」を日本から遠ざける

「時間がたつと、かげのむきがかわるのはなぜですか」「3.1 + 5.9 = ?」といった小学校における試験問題。一応模範解答とされているのは、それぞれ「太陽が動くから」と「9」である。だが前者の質問に対し、ある小学生は「地球が回るから」、また別の小学生は「9.0」と答え前者は不正解、後者は一点「減点」されている。(ただ、前者の場合は回答中の「球」の字が間違っているので、これは減点対象になるかもしれない。)無論、小学校の校内試験は大学入試ではないので、たった一点や二点の減点が小学生の人生を直接左右するわけではない。

だが、特に前者の答案には教師が「学習したことを使って書きましょう」と明示的に「学習指導要領」に学生側が従うことを指示している。これでは知性の育成のための教育というよりも官僚養成訓練のようだ。「教える側」の都合で本来「不正解」とされるべきではない回答を「不正解」であると権威的に「教育」し生徒を威圧しつづければ、生徒側は「学校での教育は何かおかしいのではないか」という感情を強めてしまうであろう。これは特に入試なしで自動的に入学を許可される「義務教育」としての公立小中学校で実によく見られる光景だが、これこそが公立学校に通う「優秀」な学生の間で「塾」が流行する一つの理由である。また、こういう経験を既にしてきた比較的若い世代が親になれば自分の子供にはそういう質の低い教育を受けさせたく無いと考え、比較的威圧的伝統の少ない名門私立校あるいは英米系のインターナショナルスクールに通わせるといった日本の公教育制度からの「上層の離脱」現象が加速する。

小学校だけではない。大学入試にも残存する官僚養成式教育観

とはいえ、何もこの官僚養成的教育法が公立小中学校のみで見られるわけではない。「日本人は英語ができない」という現実を多くの人が実感する中で、長年批判の対象となってきた「日本の英語教育」の根底にはやはり同様の教育思想がある。

例えば私が高校三年生だった2010-2011年の時点で、某予備校主催の東京大学対策模試の「英作文」において、英語表現としては通用するものであっても採点側が知らない、あるいは予期していない表現を使えば減点対象になるということが度々あった。実は、小学生の件で話題になっている理数系科目については、大学入試レベルになればこの種の弊害は減ってくる。より深刻なのは、英語や古文、漢文および歴史や公民系科目などの文系科目だ。

もっとも理科系でも、例えば化学においてform aldehydeは「ホルム・アルデヒド」と書かねばならず、原語では明らかにF音であるのに「フォルム」と書くのは減点対象になる。(私は実際に減点されたことがある。)「カタカナ」出現率の高い「地理」や「世界史」でも同様のことが起こるのは言うまでもない。ロシアの女帝はエカテリーナ二世であって原語に忠実にイェカチェリーナ二世などと書けば減点されかねない。かといって誤解を避けるためにキリル文字でЕкатерина II と書くのも勿論許されないので、「エカテリーナ」という読み方をちゃんと記憶する必要があるのである。ウェストファリア条約をドイツ語風にヴェストファーレン条約と書くのもあまり良くない。Bayernは「バイヤーン」ではなくて「バイエルン」である。受験生たるもの、これも「受験勉強」の一環なのだと割り切って勉強するのが責務であって、割り切れない「子供」には(記述式試験のある)難関大に入学する資格はないというわけだ。

さらに、単なる小学校の校内試験ではなく大学入試ともなると、これを批判するのは多くの「一般人」にとって容易ではない。東大の教授が入試批判をしても誰も文句を言わないしむしろ傾聴に値する意見として尊重されるかもしれないが、東大に合格してさえいない「普通の人」がこうした批判を向けることは、法的には可能でも社会的には許されていない。それがどれほど苛烈かというと、2ちゃんねるのような匿名掲示板においてさえ「大学受験批判」は徹底的に批判されるほどだ。つまり日本においては文字どおりそれが誰であろうとも大学受験を批判する者はおしなべて皆邪な「負け犬」なのであり、東大合格者にあらずして東大合格者を神と称えないどころか時には侮ってみせるような者は迫害されるべき邪教信者なのである。

日本の官僚はそれでも優秀である、が。。

とはいえ、日本にも根強く残るこの科挙的教育文化を丸ごと否定する気は私にはない。結局官僚養成式の教育を受けた日本の受験エリートが十分に「優秀」であるのは万人の認めるところであるし、官僚的能力の高い人の方が「馬鹿正直」で融通の利かない学究肌の人よりも「地頭が良い」という見解にも一理ある。

だが「官僚として」の優秀さ、あるいはこの意味での「地頭の良さ」は、科学的批判精神の涵養には結びつかないだろう。官僚の優秀な頭脳の本領は、まず「上」から任務を与えられなければ発揮されない。「上」の意向に関係なく自分で独立に探求心を追求することを厳しく求められる西欧的な意味での「学者」という立場では、官僚的優秀さは十分に発揮できない。だからだろうか、東大生(文系)の中でもより「優秀」な人たちは修士課程になど進まず国家公務員試験や司法試験に在学中に合格し「退学」するものだ、あるいは最低でも民間の有名企業に就職するものであって、大学に残るなんていうのは最後の選択肢だ、という日本特有のいわゆる「反学歴主義」がエリート層の中で浸透している。多くの社会学者等はこの点を問題視しているが、私は別に反学歴主義それ自体が問題だと主張するつもりはない。むしろ問題なのは、官僚養成式教育で軽視されてきた実践的英語力や科学的思考力、独創性などといった「英米的価値」に基づく能力の重要性が日本でも再三強調されているにも関わらず、一向に改善が見られないという点である。

繰り返していうが、日本の官僚養成式教育がダメなのではない。だが、学生に英米で評価されるような能力を身に付けさせたいのであれば英米式の教育を施すべきだという単純な事実は無視されるべきではない。官僚養成式教育にも長所はあるが、万能ではないのだ。官僚としての優秀さをどれほど徹底しても身につかない能力というのもある。優秀な東大生でも獲得できるとは限らない能力、例えば「英会話力」などは「地頭の良さ」に関係ない、副次的な「どうでもいい」能力だと切り捨ててしまうのは簡単である。だが、その「どうでもいい能力」の欠如が自己利益どころか日本の国益全体を損ねることさえあるからこそ、政府は与党の政治イデオロギーに関係なく必死になって「英語力」や「科学的思考力」を育てようとしているのではないのだろうか。以前も指摘したが、東大生の英語力、しかも読解・聴解という受動的能力がB1程度に留まり、会話や文章力に至ってはB1にさえ届かないA1あるいはA2の初学者レベルであるかもしれないのであれば、仮にTOEICで測られない「英会話力」が「就活」に何の影響も与えない「どうでもいい」能力であったとしても、英語の話せない人材ばかりが集まる日本企業の取りうるビジネススタイルを大幅に制限しているという事実は誰にも否定できない。

これまで日本人や西欧人をほぼ無条件に受け入れていた中国も、近年は全ての外国人に対しA,B,Cの三ランクに分け入国制限をするようになりつつあるなどと言われている。日本で英語教育の拡充にさえ反対が強まっている中で、今度は中国までもが外国人に対し中国語を課す時代になりつつある。ヨーロッパでもグローバル化に反対し外国人移民の制限を求める声が強まる中、このまま日本流の教育にこだわり続けて世界の現実に対し背を向け続ければ、ごく近い将来に日本人はその長所を生かす場を与えられることもなく単なる「無能なアジア人」として文字どおり「世界」から、つまり単に欧米や英語圏のみならずこれまで日本が勝手に下に見てきた「中国」を含むアジア諸国から無視されてしまうことになるかもしれない。特に私と同年代(20代前半)以下の若者世代にとっては、既に重要な役職を与えられているが故に失業の心配などない上の世代よりもこの問題はより切実だ。

世界の現実に目を向ける為に日本社会の現実を無視するか、日本社会で生き抜く為に敢えて世界の現実からは目を背けるか。全ての日本の若者は、この二つのうちのいずれかを人生のどこかで選択しなければならない。そして多くは今日でも後者を選択するだろうし、それがより合理的で堅実な選択であることを私は否定しない。だが、沈みゆく船に同乗することを強制されない自由はなるべく多くの若者に与えられるべきだと私は思う。その自由こそが、若者が批判精神を養う最初のきっかけになるのであり、「グローバル人材」という虚構の桎梏から脱して真に国際的に活動できる”Japanese businessperson”として成長する糧となるのではないだろうか。もしその自由が小学校教育の段階で既に大幅に妨げられているのなら、私はこれに断固として反対したい。

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