大学入試改革の落とし所によっては日本の受験産業は壊滅

藤沢 数希

2020年、つまりいまの中学二年生が受ける大学入試は様変わりする、と言われている。2013年に教育再生実行委員会がその概要を発表した「大学入試改革」による最初の入試が行われるからだ。

●「高等学校教育と大学教育との接続・大学入学者選抜の在り方について」教育再生実行委員会、首相官邸
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai4_1.pdf
参考資料
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/pdf/dai4_2.pdf

誰かを非難するつもりもないのでいちいち名前は出さないが、要するに大学入試改革のいきさつをかいつまんで説明すると、こういうことだ。

まず、貧しい家庭から苦労をして偉くなった政治家が「たった1回のペーパーテストで1点刻みで合否を競う偏差値教育では、これからのグローバル・リーダーは育てられない。そして偏差値教育の象徴的な存在であるセンター試験を廃止しよう!」と言った。偏差値は定義から言って、国民の過半数は負け組になるのだから、これは国民ウケもよく、また、そういう教育を受けなかった安倍首相にも気に入られた。

今度は逆に、偏差値教育でトップを走り抜け(最難関私立中高一貫校→東大法学部→官僚)、やはり教育に一家言を持っていた政治家が、マークシートでは思考力が測れないから、こんなもので選抜してはダメだ、と言い出した。いろいろ抽象的な難しいことを言っていたが、要するに、社会と英語の二科目入試で早稲田や慶応に入り、学生時代は合コンでウェイウェイ言って、電通なんかに就職している努力もせず知能も劣る猿どもが、自分(=高級官僚)より高い給料をもらい、女とたくさんセックスしている現状を何とか変えて、あいつらがいい大学に入れなくしてやろう、という強い意志の現れだ。

さらに一流大学の偉い教授連中も、なんとなく受験テクニックを塾で磨き続けて大学に入ってくる現代の学生たちを好ましく思っていなかったようだ。人間力(笑)が弱い、というやつだ。

このように、偉い人たちのそれぞれの思惑が交錯する中、文科省の下っ端の官僚たちに、注文が投げられた。

(1) センター試験廃止!
(2) 暗記で乗り切れるマークシート方式やめろ
(3) ペーパーテストだけじゃなくて高校での活動歴や面接や小論文など多面的評価頼むわ

以上の経緯は、『大学入試改革 海外と日本の現場から』に詳しい。この本は政府の広報誌のようなもので教育再生実行委員会の意見がそのまま書いてあるが、海外の教育事情などもくわしく書いてあり、興味がある人は読むといいだろう。

『大学入試改革 海外と日本の現場から』読売新聞教育部 http://amzn.to/2jtTrUo

それで出てきた案は、現行のセンター試験を廃止して、新しいセンター試験(名前が変わっただけじゃん……)をすることになり、それはTOEICのように複数回受験可能で、記述式も取り入れ、暗記だけでは解けないクリエイティブな問題ということになった(笑)。

しかし、まず、複数回受験可能というのは、カリキュラムが遅い公立高校からの猛反発で中止に追い込まれた。というのも、複数回受験と聞いて、難関私立中高一貫校はほくそ笑んでいたからだ。こうした学校では中学のうちに高校のカリキュラムの大部分を終わらせてしまう。高1ぐらいの段階で、早々に高得点を取って、あとの2年間は各大学の二次試験の対策に集中できる。ということで、新しいセンター試験も、いまと同じように、高3の1月ごろの一発試験になった。

次に、記述式だが、これは50万人の答案用紙の採点をいったい誰がやるんだ、と揉めに揉めている。コストとリターンを考えたら、マークシート方式しかないことは、誰の目にも明らかなのだが、最初に偉い人が「記述式導入!」と大見栄を切ったので、引くに引けないメンツの問題になった。サラリーマン諸氏なら、現場の業務がよくわかっていない偉い重役が変なことを言ったがために、下々の人たちがもがき苦しむ、という光景をよく目にするのではないだろうか。偉い人のメンツにより、大学の教官たちは研究に費やす時間を割いて、バカな高校生のクソのような答案を採点する作業に追われることになるだろう。

あと、新センター試験では、高校1、2年から受けることができる基礎学力を測る簡単バージョンを作り、そこに経済的な理由などによりに高校に通えなかった人が大学入学資格を得るためのテストである大検を統合する予定だったが、これも公立高校がそんな早くからテスト対策に追われるのは困る、というのでなくなった。

このように迷走しているのだが、落とし所としては、センター試験にちょろっと記述式を入れる、二次試験は高校の成績・活動歴、面接、小論文などで多面的な評価をする、という欧米の入試制度を真似たようなものを狙っているようだが、はっきり言って、いまどの辺に落ち着くのか誰もわからない。

『週刊新潮 2017年1/12号 あなたの子と孫を阻む新しい壁の研究 2020年度大学入試改革』
http://amzn.to/2jtSRpQ

●国立大は文理全受験生に記述式 新テストで方針
https://dot.asahi.com/aera/2016121600106.html

しかし、いまの中学二年生以下の子供を抱える親にとっては、たまったものではない。中学三年生も、浪人したら新制度に移行するというので、チャレンジ校を避けて、手堅く現役合格を狙わなくてはいけなくなっている。世間では、この入試制度改革は、あまり話題になっていないが、これは根本的に日本の教育制度を変えうるインパクトを持っている。じつは、日本の形が変わってしまうほどの制度改革になる可能性を秘めている、と言っていい。

さて、我々が新しい入試制度で日本の教育がどうなるのか、それによってどのような社会になるのか、と天下国家を論じても意味がない。市井の人が何を言っても、大きな流れは変えられないので、時間のムダだ。我々ができることは、変化する制度に適応し、すこしでも子供がうまく立ち回れるように家庭の教育方針を変えることだけだ。言うまでもなく、考える力だとかグローバルだとかクリエイティビティだとか、はては人間力などはただの戯言で、何の意味もない言葉遊びである。

今回の大学入試制度改革で重要なことは一点しかない。それは、東大・京大のいまの学力試験が存続するのかどうか、である。

いくらセンター試験がマイナーチェンジしたり、より思考力を問うような問題になっても、そんなことは非常に些細な問題である。逆に言えば、東大・京大の二次の学力試験が存続するなら、今回の大学入試改革はまったくに何も起こらない、ということを意味する。実績のある私立中高一貫校の地位はそのままであるし、塾などの受験産業もそのままである。子供がしなければいけないトレーニング方法もそのままだ。それはすでにバックナンバーで論じているので、読んで欲しい。

週刊金融日記 第201号 現代受験工学の最前線
週刊金融日記 第207号 子供をなるべくいい大学に行かせたい家庭のコース別コストパフォーマンス分析
週刊金融日記 第208号 公立小中高で子供の教育費をカットしながら学歴社会で勝ち組に回る方法
週刊金融日記 第211号 小中高公立で子供の教育費を大幅カットしながら学歴社会で勝つ 実践編

しかし、東大・京大が学力試験を廃止して、他の先進国と同じように、新センター試験をいくつかある中のひとつの指標にして、高校の成績・活動歴、面接、小論文などで総合的に学生を選抜するなら、日本の教育システムは激変することになる。

まず、日本の受験産業は壊滅的な打撃を受ける。そもそも欧米には入試対策の塾というものはなく、新しい制度が欧米の入試制度をパクったものだから、日本にもそうした受験産業が必要なくなってしまう。なぜ欧米には塾がないのか、については以下のバックナンバーに詳しく書いたので読んで欲しい。

週刊金融日記 第203号 なぜ欧米には塾がないのか?

それでは、何が変わるのか? 決められた範囲の中で作られる、難解な東大や京大のペーパーテスト、特に日本独特の「受験数学」の対策をしなくてもよくなるということだ。そして、こうしたペーパーテスト対策のために、日本で発達した受験産業は滅びることになる。あの書店の一角を占めている通称『赤本』の棚が消滅することになるのだ。大げさにいえば、日本の伝統芸能が、一夜にして滅びる。

そして、何が重要になるのだろうか。これは欧米の制度をそのままパクったものであるから、その対策も、欧米と似たようなものになる。今週のメルマガではそのことを論じることにしよう。

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編集部より:この記事は、藤沢数希氏のブログ「金融日記」 2017年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「金融日記」をご覧ください。