女性は科学者に向かない⁉︎ ー 正規分布を考える②

オバマ政権で国家経済会議委員長を務めた、ローレンス・H・サマーズは天才的な経済学者としても知られています。サマーズは28歳で史上もっとも若いハーバード大学経済学部教授に就任し、その後クリントン政権で財務副長官、さらに財務長官に就任し、退任後ハーバード大学学長となります。

サマーズがハーバード大学学長だった2005年、サマーズは全米経済研究所(NBER)の主催する科学技術者の多様化(Diversifying:通常男女、人種などの多様化を意味します)についての分科会で、5,000人ないし10,000人に一人といったトップレベルの能力を求められる上位25大学の物理学者に女性が少ない理由を説明する仮説を展開しました。

仮説の設定でサマーズは慎重に、女性科学者は男性と比べ本人の意思を含めた家庭環境や社会的条件が不利なことをまず挙げています。これは女性本人のやる気を指摘した以外は穏当なものでしょう。ところがサマーズはその他の理由として、女性は男性より個人の能力のバラツキが小さいため、男女の平均知能は等しくても、極端に優秀な人間の数は男性が女性よりずっと多くなる可能性があるという推察を述べます。

サマーズの言いたかったことは、統計学の世界では平均値の同じ正規分布(この場合は男女それぞれのIQの分布になります)でも標準偏差(σ:シグマ)つまり平均からの乖離の度合いが大きい集団は、分布のはずれの方では、標準偏差の小さな集団との差がずっと大きくなるということです。サマーズの仮説が当たっていれば、有名大学に採用される物理学者のように何千人、何万人に一人の特別に能力の高い人は、男性の方が女性より多くなりますが、同じ理由で極端に能力の劣った人間も男性の方が多くなります。平均は変わらないのですから、サマーズは女性は能力が劣っているということを言おうとしたわけではないのですが、仮説とはいえ、1万人に一人のような天才は男性が女性よりも多いと言ったことは間違いありません。

取りようによっては女性は生物学的に男性より優秀な科学者になる可能性が小さいと言ってしまったのですから、不適切な発言と思われても致し方ないでしょう。サマーズのスピーチを聞いていた女性科学者の一人(MITのナンシー・ホプキンス生物学教授)は気分が悪くなったと、その場を退席してしまいました。

影響はそれだけにとどまりませんでした。ハーバード大学ではサマーズ学長の罷免要求が噴出し、教授会は学長の不信任案をハーバード大学史上初めて可決してしまいます。それが原因と思われますが、サマーズは問題のスピーチの翌年2006年にハーバード学長を辞任します。もっともサマーズ在籍中の2005年に金融商品の取引でハーバード大学が35億ドル以上の損害を出したことが一番の理由かもしれません。サマーズは学長として取引を承認した他、彼自身がハーバード大学資産運用委員会の7人のメンバーの一人でした。

サマーズが指摘したのは、ある集団の性質は平均だけでなく、平均からのバラツキ度合いを示す標準偏差も一緒に考える必要があるということでした。身長、体重、IQのような種々の人間の特性の分布を調べると、多くの形質は平均のところがピークとなる正規分布と呼ばれる、いわゆるベルカーブを描きます(その理由は前回のブログで説明した通りです)。正規分布のカーブの形は平均値と標準偏差の2つで決まります。標準偏差は普通σ(シグマ)と書きますが、平均値をmとすると、m±σに入る割合は約68%つまり概ね3分の2、m±2σなら約95.5%、m±3σなら99.7%です。逆に言えば、σの範囲から外れる割合は3分の1程度、2σなら4.5%、3σなら0.3%です。σが大きいと平均値から離れたところの割合が小さなσより高くなる。数学的には単純なこの事実も「政治的」には極めて不適切だったわけです。