反日と中華思想 - 過激化していく中国の反日

2017年01月19日 11:30

Leo Ching氏という米Duke大の准教授が2012年に発表した「‘JAPANESE DEVILS’: The conditions and limits of anti-Japanism in China」(「日本鬼子」:中華人民共和国における反日主義の諸条件と限界)という論文は、「中国」(この呼称自体が中華思想に基づく美称であり、中華思想に批判的な立場に立つなら梵語の音訳である「支那」を使うべきだが、便宜上以下では「中国」で統一する)における「反日主義」を、「日本鬼子(riben guizi)」という「反日言説」において頻出する言葉の語源等から「中華思想」と結びつけ、結局「中国」における反日主義は「日本」云々というよりは中国人の自己認識に関わる問題であると結論づけるものである。中国における「反日」も結局は中国人の自己認識の問題であるという結論は、先日紹介した韓国における反日イデオロギーの原因を分析する論考と極めて親和的であり、現代東アジアにおける「反日」の実態を明らかにする一助とあるものである。本稿ではChing氏の議論を踏まえた上で、「反日」に対する卑見を述べることにしたい。

「鬼子」は元々「西欧人」に対する蔑称であった

Ching氏によれば、そもそも「鬼子(guizi)」というのは特にアヘン戦争以降に中国において主に「西欧人」を指す言葉として流行したものであるが、「鬼子」は元来「蛮族(barbarian)」に対する蔑称であり、従ってそこには中華思想(Sinocentrism)に基づく「中国人/鬼子(=非中国人)」あるいは「華人/夷狄」の区別という伝統的秩序観の影響がある。帝国日本軍の中国本土侵略以降、本来主に西欧人に対する蔑称であった「鬼子(guizi)」が日本人にも使われるようになり、当初は「東洋鬼子(dongyang guizi)」、後に「日本鬼子riben guizi」という具合に発展していったのだという。

すなわち、「鬼子」という言葉は何かしら「西欧的なるもの」を含意している。従って中国人が日本人を「鬼子」と侮蔑する時、彼らは日本人を西欧人に準ずる存在として「蛮族」扱いしているのであり、これは西欧化する前の日本を「倭」と呼んでいた頃の、旧来の中華秩序の内部序列に基づく「侮日」的な見方とは大きく異なっている。Ching氏の言葉で言えば、

In short, if ‘wo’ still signified a Sinocentric understanding of Japan’s (subordinate) place in the Chinese cosmology, ‘guizi’ points to the end of that worldview and China’s tacit realization of its (subordinate) positionality within the newly reconfigured modern imperialist system. ‘Wo’ has become anachronistic. [p.714]

つまり、もし「倭」が中華秩序的世界観における日本の従属的地位を示す言葉であったとするならば、「鬼子」はその中華秩序の終焉を示すのであり、また新たに再構成された近代帝国主義の枠組みの中における自己の(日本や西洋列強に対する)従属性に中国側が暗に気づいていたことを示す。「倭」はもはや時代遅れになったのだ。

中共一党独裁支配への不満を吸収する装置として機能する「反日イデオロギー」

その後二度の世界大戦の中で日本の中国大陸進出は本格化していったが、同時に中国側にとってそれは「抗日戦争(War of Resistance)」の始まりであった。中国人にとって、第二次世界大戦の歴史とは抗日戦争の歴史に他ならないのであり、しかもそれは数十年にわたる「国辱」の後に遂に中国人が手に入れた「自己イメージ」を肯定する契機として極めて重要なのである。(For the Chinese, the history of the Second World War is the history of the War of Resistance against Japan and is vital to the Chinese self-image after decades of ‘national humiliation’. [p.717])

第二次大戦後の冷戦時代においては「抗日戦争」は中国統合及び中国共産党の正統性を想起させる文化装置として機能するようになる。(The anti-Japan war became the signature of China’s unity and the communists’ legitimacy in the post-war cold war era [p. 718] ) ところが貧富の格差が拡大し「社会主義 」というイデオロギーの正統性が疑問視されるようになり、政府側も改革の必要を痛感するようになる80年代以降からは、ちょうど日本で1984年に中曽根首相の「靖国参拝」が話題になったことと呼応する形で、国民統合の為のイデオロギーの主軸が「社会主義」から「反日ナショナリズム」へと切り替わっていく。Ching氏はこの状況をこう叙述する。

The shift from socialism to nationalism became part of a delicate balancing act between the state’s tacit approval and people’s rousing emotions. Anti-Japanism in the 1980s and 1990s therefore served both to contain the emerging Japanese nationalism and to legitimize state power in the wake of massive reforms and popular discontent. [p.718]

社会主義からナショナリズムへの移行は、政権の黙認と大衆の熱情の間の絶妙な均衡の一例となった。80年代から90年代の反日主義は、日本におけるナショナリズムを抑制すること、また大規模な改革と大衆の不満の中で中共政府の政治権力を正統化することに貢献したのである。

異常な過激化が進む21世紀以降の「反日」

ところがインターネット時代に入った現代、ネットユーザー間において「反日」は以前のような「旧帝国日本軍」に対する反感を意味する言葉としてのみではなく、「日本人」全般に対する理由のはっきりしない気分的反感へと変化してきているという。(Unlike the concerted effort to separate Japanese militarism from the Japanese people, today’s anti-Japanism collapses the two into one common foe. [p.720])

以下の記述は俄かに信じ難いものだ。こんなことが中国国内では平然と許され、しかも西欧のリベラル派を含む誰からも目立った批判をされていないというのは、この事態の異常性をさらに高めるだけでなく強調することにもなる。

The flash movie ‘Resist Japan and Whack the Devils’ with the English heading ‘Kill Them Together’ provides another incident of equating ‘guizi’ with the Japanese people in cyberspace (http://flash.dm.sohu.com/comic/ show_44923.html). Combining animation and rap, the short movie implores the Chinese to take revenge on the shameless Japanese and express their patriotism. In a 4-minute clip, it reflects on the long history of Japan’s subservient position in the China-centred world, Japan’s invasion of China, the Nanjing Massacre, and Japan’s post-war dependence on the United States. It tells of the inevitable rise of the dragon and its preparation for revenge. The song raps angrily that the two nuclear bombs dropped onto Japan are too light of a punishment. [p.720]

「日本に抵抗し、鬼子をぶち殺せ」という、「Kill them together」という英語の見出しで始まる動画は、「鬼子」(本来は旧帝国日本軍を意味する)を一般の日本人と同一視するもうひとつのケースである。アニメとラップを組み合わせたこの短い動画は、中国人に対し「恥知らず」な日本人に復讐せよと迫るような調子で呼びかけ、そうすることで彼らの「愛国心」を表現する。この4分足らずの動画は、日本が中華世界において従属的立場にあった時代から、日本の中国侵攻、南京虐殺、そして戦後の米国依存体制への移行という(彼らの解釈に基づく)日本の歴史を振り返る。そして復讐に備えている「龍」の不可避的台頭を伝え、また二つの原子爆弾は日本に対する罰としてはあまりに軽いと怒りを込めて歌う

だが、80年代までの「反日」と上述のような過激化した現代の「反日」の間の変化をもたらしたのは日本側の落ち度では明らかにない。Ching氏もその点は良く承知しており、従って彼は結局「反日」というのは日本にはさほど関係なく、むしろ中国が東アジアや世界全体における自己の地位を確認しようとする際の自己イメージにより深く関わっている、と結論づけている。(Anti-Japanism is thus less about Japan than about China’s self-images in the contexts of its own positionality in the region and beyond. [p.721])

だとすれば、中国人の「反日」においても、「日本人の戦争責任」という原因の果たす役割は想定されているよりも遥かに小さく、むしろ歴史的に醸成された日本に対する侮蔑的感情、大戦期に西欧と並んで中国に惨禍をもたらしたことに対する怒りと畏怖及び嫉妬心、現代の経済的反映に対する羨望や「米国従属主義」に対する侮蔑、といった様々な要素が複雑に絡み合い、また状況に応じて「反日」の意味する内容は変化しているというのが実態だということになるだろう。

日本はこの状況にきちんと抗議すべきではないのか

だが、今を生きる日本人にとって最も重要なのは、現代中国の「反日」はもはやどんな理由に基づいていたとしても決して正当化できないような攻撃的「ヘイトスピーチ」になってしまっているということであり、かつこの状況をもたらしているのは日本の過去の加害性云々ではなくインターネット上で肥大化している中国人の愛国的プライドである以上、日本側は従来のように平和主義的贖罪で万事解決するはずだという甘ったれた思考停止状態をつづけることはもうできないということだ。我々は(特にリベラル派や他者の善良性を信じたい性善説支持者は)これまで中国人(及び南北朝鮮人等)を「哀れで善良な(先の戦争の)被害者」とのみ表象し、彼らの日本に対する侮蔑感情や国家的プライドという側面を捨象してきたのではないだろうか。そんなcondescending(適当な言葉が見つからないので敢えて英語のままにする)な態度を、実際の彼らは彼らのやり方で嘲笑しているというのに。

「南京虐殺」の悲惨さを純粋に悲しむ人が、二発の原子爆弾では「軽すぎる」などと言うだろうか。彼らは一般の日本人を「殺せ」という過激極まりない言説を、ネットを通じて拡散しているのである。日本において「在日は出て行け」だとか「断交すべき」という程度の発言が「ヘイトスピーチ」として忌避される中、中国(や恐らく韓国)では「日本人を殺そう」と呼びかける動画が毎日再生産され、再生されているというのが現実なのである。

労働人口の減少を理由に中華系移民が知らず知らずのうちに続々と来日している現状が事実上黙認されている中で、斯様な事態が中国語(及び英語!)インターネット上で放置されているどころか部分的に奨励されてさえいることの危険性は指摘されねばならない。過去に大日本帝国が何をしていたとしても、現代日本人の生命を中国人や韓国人のそれより軽くしていい理由にはならない。日本政府は諸外国、特に東アジアにおける「反日」ヘイトスピーチに対してもっと真剣に対処していくべきだ。

参考文献:

Ching, L. (2012). ‘JAPANESE DEVILS’. Cultural Studies, 26(5), 710-722.

 

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