反トランプデモの相も変わらぬ粗暴さ

2017年01月22日 06:00

2017年1月20日(米国時間)、ドナルド・トランプ氏が遂に第45代米国大統領に就任した。

無論、トランプ氏が大統領選挙で当選確実となった時と同様、就任式においても様々な「リベラルな価値観」を持つ人々による反トランプデモが行われた。リンク先のYouTube動画あるいは他の動画を見ていただければわかるが、完全に混沌と化している。反トランプデモを実施したグループにはLGBTの権利擁護を主張する活動家やフェミニスト、反人種主義差別活動家、反戦活動家、移民推進派およびマリファナ合法化運動活動家などが含まれていた。(”Most of the noisy protests – including those by an array of anti-racist, anti-war, feminist, LGBT, pro-immigration and marijuana legalization groups – were peaceful” リンク先より引用)

その中でalt-rightメディアの関係者や「白人至上主義者」として知られているRichard Spencer氏が殴られ負傷するなど、トランプ氏に直接関係のない「政治的に正しくない」人々に対し直接暴力が振るわれた。

結果として217人が逮捕され、また警察官側にも負傷者が出ている。この事態は現代の「リベラル派」の醜悪さを見事に表現している。権力に反対することが「知識人」としての倫理的義務だとしても、暴力に訴えた時点で彼らの主張は矛盾しているか、あるいは正当性がない。選挙の時にもあれほど批判された上に、此の期に及んでトランプ氏の大統領就任を合法的に妨げることなど最早できないことは明らかなのに、まだこんな無意味でしかも暴力的なことをするというのは、彼らのトランプ氏に対するイデオロギー的反感は理性的意義申し立ての次元を遥かに超えていると言わざるを得ない。

他人を同調圧力で抑圧しているのは自分たちの方であると彼らはいつ気がつくのだろうか。リベラル派は「絆」(日本)だとか「solidarity」(英米欧)という言葉を好んで使用するが、それこそが「fascio」というイタリア語の単語が意味するものであり、「束になって団結すること」を強調することがファシズムという語の語源に最も忠実なイデオロギーであると彼らは認識しているのだろうか。

そうでないなら、リベラル派の支配する世界の先には「ファシズム」の新たな形での再現しか待っていないだろう。そこには「リベラリズム」というイデオロギーが本来中心的価値とすべき「自由」はもはやない。あるのは「自由」の名の下における隷従、「寛容」の名の下における「言論統制」、「正義」の名の下における「正当な暴力」、「平等」の名の下における「不公平」である。この意味においてトランプ氏は今、「新しいファシズム」と戦っているのだ。まだ完全に勝利したわけではないし、トランプ氏自身がファシズム側に転向する可能性も十分にあるが、しかしこのネオ・ファシスト達がトランプ氏の存在に怒り狂っている間はそれこそがトランプ氏の反ファシスト性の証左となるだろう。

ともあれ、そんな騒音と警察の大規模出動で外が混乱する中でも無事トランプ氏の就任式は行われた。そのトランプ第45代アメリカ合衆国大統領の就任演説の考察に関しては、別稿において論じたい。

タグ:
アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

関連記事

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑