日米のネット右翼比較が示す戦前日本思想の先進性

2017年01月24日 12:00

先日行われたトランプ大統領の就任式において、大規模な反トランプデモが行われたことは既に述べた。その際にいわゆる「新しい右派(Alternative Right;Alt-right)」と呼ばれる、日本で言えば「ネット右翼」に相当する、主にインターネット上の匿名掲示板などで通常のメディアや日常会話では決して口にできないような過激な発言を行う集団のいわば代表格と公式メディア側から認定されているリチャード・スペンサー氏(Richard Spencer)という人物が、ワシントンD.C.の就任式会場近くにおいてとある報道機関からインターヴューを受けている間に暴徒化したデモ隊に殴られるという事件があった。

このスペンサー氏というのは欧米メディアでは一般に白人至上主義者(White Supremacist)として知られているが、(主にリベラル系でしかも大手既存メディアではない若者主導の)メディアによっては彼をさらに人種差別主義者、反フェミニスト、反多文化主義者、反回教主義者(Islamophobe)等々、様々な政治的に正しい主張を悉く拒絶する極悪非道な人物として報道するものも少なくない。

上述の事件について報道しているCNNの記事では、スペンサー氏を単純に「新しい右派の開祖(Alt-right founder)」としているが、Alt-rightは公式メディア上では事実上白人至上主義や過激な人種差別的主張をオンライン上で氾濫させる集団という程度の意味で使われているので、結局示唆していることは同様である。

さて、このアメリカの主に若者から中年層のインターネットユーザーを中心とするAlt-rightという動きは、日本における「ネット右翼」と比較した時、どのような点が類似しており、またどのような点が異なっているのだろうか。これを明らかにすることで、アメリカのAlt-Rightとは何なのかを説明することになるだけでなく、日本の「ネット右翼」の特徴をも浮かび上がらせることができるので、本稿では簡単にこれを試みたい。

日本の「ネット右翼」とは?

まず、日本の「ネット右翼」とは何なのかを簡単に見ていく。日本の言論界で「若手保守論客」として知られている古谷経衡氏によれば、

「ネット右翼の平均像、は中産階級、大卒が多く、40歳前後の男性」というのが、私の調査と経験を元にした実相である。

のだそうだ。また「ネット右翼」との関連性の高い「在特会」の実態をフィールドワーク的に分析した安田浩一氏の「ネットと愛国」でも、在特会の人々は何の変哲もなく普段は普通に働き普通に生活を送る「普通の人」達であると説明されている。

ネット右翼とは直接関係ないが、吉見義明氏の「草の根のファシズム」においても太平洋戦争当時に主戦派だったのはむしろインテリ都会人の方で、農村の貧困層は反戦的であったということが示されており、吉見氏と古谷氏及び安田氏の分析が全て正しいとすれば、一般の固定観念とは逆に農村部の貧困層ほど反戦的で都市の中産階級の方が主戦的であるという事態はいわゆる「天皇制ファシズム」の時代から今日まで一向に変わっていないということになる。

つまり日本において在日韓国人や中国人などの「弱者」に対し「ヘイト・スピーチ」を行う人々として非難されがちな「ネット右翼」的な人々というのも、戦前のファシズム支持者も、皆「普通」の、『「善良」な中産階級』(古谷氏の言葉)であるというのが日本的「右翼」の戦前から今日まで一貫して変わらぬ特質なのだ。

多文化主義を逆手に取るアメリカのAlt-right思想家達

では、アメリカのAlt-rightの方はどうなのだろうか。New York TimesのAlt-rightに関する記事によると、アメリカにおけるAlt-rightによる「白人至上主義」への回帰は、「多文化主義」を長年の教育課程で刷り込まれてきた現代の若者が、その「異文化尊重」の原則を「白人」にも適用することによって生じたものだという以下の Carol Swain氏の分析が引用されている。

 The multiculturalist arguments you hear on every campus — those work for whites, too.”

全てのキャンパスで耳にする(ほど流行している)多文化主義の議論、これは白人にとっても使えるものなのです。

実際、同記事によれば先のスペンサー氏もそのことを認めるかのような発言をしているそうだ。

Mr. Spencer, asked in an interview how he would respond to the accusation that his group was practicing identity politics in the manner of blacks and Hispanics, replied: “I’d say: ‘Yuh. You’re right.’ ”

スペンサー氏は、インタヴューにおいて『あなたがたのやっていることは、黒人やヒスパニックの人々の「人種的アイデンティティに対する政治的保護要求(identity politics)」と同じではないですか』と非難されたらどう応えますかと聞かれ、『そうですね、まあ「その通りです」と言うでしょうね。』と応えた。

つまり、Alt-right的「白人至上主義」は旧来の白人至上主義のような宗教的イデオロギーとは全く異なっており、むしろ実はエリートの認める公式の多文化主義が「白人社会の異人種に対する寛容」という自己欺瞞的なものであることに気づいた若者達が「多文化主義」を真の意味で「普遍的原則」に高めるべきだ、と多少の皮肉を込めて主張することで生じたものなのである。確かに、YouTubeでもこの種の「白人差別」ないし「白人だけを例外扱いする」ことに対する批判を展開する動画は無数に存在する。

例えば以下のYouTube動画は、トランプ氏を支持する白人男性を数名の「リベラルで知的」な若者達が寄ってたかって批判する一部始終を記録したものだが、その批判の中で「お前は白人の男じゃないか!(You are fucking white male!)」という批判が叫ばれる。(11:13-11:16)この「white male!」発言のおかげでこの動画は実に多くの注目を集め、既に200万回近く再生されているのみならず、「white male!」発言をした男性(ネット上では「AIDS Skrillex」と呼ばれている)は一躍有名人になり、YouTube上でも彼にまつわる動画(例えば「white male!」発言を抜粋したremix版など)が複数作られている。

ここまで行くともはや一種のカリカチュアだが、ともかくこの欧米の公共空間における「雰囲気」が、少なからぬ若者を刺激しそれがやがてAlt-Right的な主張としてインターネット上で表出するというのも十分に理解できることだ。

日米のネット右翼の相違点と戦前思想の逆説的「先進性」

こうして振り返ってみると、日米の「ネット右翼」にはいくつか類似する点もある。例えば、「ネット右翼」の主張はそれを批判する「既成エリート」側からみると日米ともに「排外主義的」で「人種差別的」であり、あるいは「女性差別的」であって、その政策的主張の骨子は特定集団への優先差別(positive discrimination)反対など「平等を実現する為の不平等」に対する強い反感であるという点。また、構成人員が比較的「若い」ものの、20代以下を中心としているというよりはむしろ今の30代から40代の層が中心となっている(スペンサー氏は78年生まれの38歳である)という点も共通している。また戦後教育に対する反動として生じているという点も同じだろう。

とはいえ、やはり文化的相違や日米のおかれた立場によって異なる点も多い。まず日本の「ネット右翼」の方は戦前の「知識人」との連続性を保っており、ネット右翼的主張というのもインターネット時代になって初めて生じたというよりは以前から存在していた主張がネットを通じて拡散されるようになったに過ぎないという点だ。例えば「皇統」を重視する「愛国系」の場合は平泉澄の、「嫌中・嫌韓」を重視する「反(東)アジア」主義系は福沢諭吉(脱亜論)や北一輝(支那革命外史)などの、また大企業や官僚組織、及び大学教授等の「エリート」に対する批判を中心とする「民情主義」系は吉本隆明や小林秀雄などの主張とほとんど変わらず、従って批判する側も丸山真男等の「近代主義者」達の上述の思想家達に対する批判を繰り返すということが延々と続いている。

ところが米国のネット右翼の主張は過去の右派の主張とは全く隔絶している。そもそもAlt-rightにとってキリスト教は重要な要素ではないし、「アーリヤ人の優越性」を強調することや「白人以外には文明は築けない」あるいは「科学は白人にしか理解できない」といったような偏見も見られない。今や日本人を始めとするアジア系知識人の科学分野における活躍には欧米社会が自信喪失するほどまでになっており、時代遅れの根拠のない優越感が虚しいだけなのは過半数以上の西欧人に理解されていると言って良い。今日の「白人至上主義者」が主張するのは白人の優越性などではなく、「白人」以外の人種に与えられる「特権」を廃止してほしい、「白人」に対して「非白人」が危害を加えることを正当化しないでほしい、「白人社会」の治安を脅かさないでほしい、というだけのことである。

実際、米国で優先差別の不利益を被っているのは白人だけではなく、日本人を含む東アジア人も同様である。ハーバードを始めとする名門大学において優先差別が行われているという噂は日本でも知られており、大学入試において優先差別をしないと言われているCaltechなどに優秀なアジア系学生が殺到する結果、Caltechのアジア人比率は現在42.5%にのぼると言われているので、米国名門大への留学を希望する日本人学生にとってもこれは決して他人事では無い。

無論より伝統のある古い形の差別的偏見の代表とも言える「反ユダヤ主義(anti-semitism)」もAlt-right的言説の中に紛れている場合もあるので、必ずしも古い人種差別が完全に根絶されているというわけでもないのだが、大きな傾向としてはアメリカのAlt-rightは多文化主義のレトリックによる「白人性」の擁護という面が強く出ているのは確かだ。従ってエスタブリッシュメント側の旧態依然とした批判は全く通用せず、むしろAlt-right側がエリートの硬直した世界観を嘲笑しているのが実態であり、Brexitやトランプ現象によって漸くそのことに気付き始めた欧州の正統知識人達はこれに対抗する新たな理論を模索している最中である。つまり、多文化主義の陥穽に西欧の近代性がどう立ち向かうのかという課題が現代西欧の課題なのだ。

だが、それは日本思想が全く進歩していないということを意味するのではない。むしろ逆であると私は考えている。というのも、日本の戦前思想は「西洋の中の非西洋文明国」という特殊な位置に立たされたおかげで西洋では最近漸く問題とされるようになってきた「西洋に対する非西洋の反逆にどう対処するか」という課題を70年も先取りしていた、と解しているからだ。丸山真男らの「戦後リベラリズム」の出した答えは「あくまで西洋的近代性の価値を信じること」であったが、近代性を相対化しようとし過ぎた「多文化主義」の自己矛盾に起因する叛逆に動揺する欧米諸国は一体どんな答えを出すのだろうか。もし西洋自身がここに至って近代性を捨てるなら、日本における丸山らの知的営為もまた「歴史化」されてしまうのかもしれない。

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