アパホテルを論ずる若手論客達が見落としていること

2017年01月29日 06:00

「アパホテル」を批判しつつも歴史修正主義に関しては「言論の自由」で擁護する古市氏と古谷氏

共に「若手論客」として知られる古市氏古谷氏の「アパホテル」に関する論考を拝読させていただいたが、リベラル寄りの古市氏も保守寄りの古谷氏も異なる視点からとはいえ「アパホテル」に対してある程度批判的であるという点は一致しているようだ。それは別に個人の見解であるから別に良いとして、一点どうしても気になる点があったので一応指摘させていただく。それは両者の「言論の自由」に関する現状認識の甘さである。

古市氏はアパホテルが「ホスピタリティ」産業である「ホテル」である以上、「ホスピタリティ」の観点から政治的中立性が求められ、またこのような事態が見逃されることによって訪日観光客の減少に繋がるのであればそのこと自体が「日本の国益を損ねる」のではないかと指摘している。

他方、古谷氏はアパホテル側が奉ずる「コミンテルン陰謀史観」そのものが歴史学的に瑕疵の多い「陰謀論」に過ぎず、それにも関わらずこうした「陰謀論」が「保守界隈」で根強く支持されていることの方を問題視している。

だが、両者ともアパホテル側が「歴史に関する書籍」を出版し他人に読まれる状況にしていることそれ自体は表現の自由の範囲内であるとしている。古市氏はこれに関して上記リンク先記事内において『「うちのホテルには、南京事件がなかったっていう人に来てもらいたい」と言うならいいんです。』あるいは『アパホテル側が、それでも主張したいならいいんですけど。』と特に「言論の自由」という観点に触れることもなく肯定し、また古谷氏はこう論じている。

結論から言って、私企業であるアパが元谷氏の著書を同ホテル室内に置くことは、言論の自由であり問題はない。仮に元谷氏が左翼・リベラル思想の持ち主で、自社の客室に「憲法9条を世界遺産に」とか「大陸への侵略を子々孫々まで懺悔し続けるべし」という内容の書籍を設置したとしてもそれは許容されるべきである。まさに「私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたがそれを主張する権利は死守する」というヴォルテールの名言の適用が適当であろう。

古谷経衡「アパホテル問題の核心~保守に蔓延する陰謀史観~」(Yahoo! Japan)より引用

ヴォルテールの名言が厳密に言えばヴォルテールのものではないという哲学史上の「史実」に関する誤認については既に一度論じたことがあるので再び繰り返さないが、ともかく古谷氏も私企業が自著をホテル室内に置くことは言論の自由の範囲内であると断じていることははっきりと表明されている。

尤も、若手論客の中でもリベラル色の強い宇野常寛氏はさすがに「歴史修正主義」という点に言及はしているが、それが「言論の自由」で保護される範囲を超えた「違法行為」を意味し得るということにまではやはり触れていない。これが日本のリベラル論壇の限界なのであろうか。だとしたら日本のリベラル派はある意味で西欧のリベラル派よりも柔軟で原則に忠実だとは言えるが、西欧の動向には全くついていけていない「ガラパゴス」リベラルであると言わざるを得ない。

無論、西欧の動向に一々合わせる必要があるというのではない。彼らが西欧の動向についてきちんと認識した上で、あくまで自分の独自意見として「このようなケースでも、言論の自由が認められるべきだ」と敢えて唱えるのは大変結構である。(それなら私も賛成だ。)だが、西欧でもこのくらいの「言論の自由」は当然認められるているはずだという素朴な認識から上述のような発言しているのだとしたら、見当違いも甚だしい。そんな程度の認識では何故西欧でこれほど「political correctness」が問題となっているのか、なぜ人々が「トランプ」や「Brexit」、あるいは「極右政党」を支持したりするのか実際にはわからないだろうし、それがわからないまま「ポピュリズム」や「ポリコレ」を論じても机上の空論である。

「歴史の真実」の究明は結構だが、学問的裏付けの不十分な主張は国際社会の日本に対する印象を悪化させる

念の為に確認しておくが、私は古谷氏とは異なり、アパホテルの歴史観が「陰謀史観」に過ぎないから唾棄すべきだとまでは考えていない。所詮歴史の真実の大部分は闇に埋もれている以上、陰謀史観が案外正しかったという場合も往々にしてあるだろうし、少なくとも「陰謀史観」を証明する為に真剣に学術的な研究を行う自由くらいは認められるべきだ。私は歴史の専門家ではないのでアパホテル側の「歴史」が正しいのか否かを判断する立場にはないが、もしそれが可能ならば、日本の名誉の為にアパホテルやその賛同者には真摯な姿勢で歴史研究を続け、学会でしっかりその成果を発表していただければ良いと個人的には考えている。

だが、まだ学術論文として発表できる程度に十分な歴史学的研究成果を得られていない段階で、「歴史観」を修正する主張だけを繰り返すのは国際社会における戦略としては必ずしも有効ではない。というのも、今アメリカと日本が協力して中国を自由化する方向に動くことができれば、自由化した後の社会では中共政府の戦争犯罪も正当に論じられるようになる見込みが一応ある。そのチャンスをみすみす逃すのは賢明ではない。まずは中国国民を自由化へ導き中共政府の道義的正統性根拠を日本側の柔軟な態度で崩すことが最優先である。

その為にも、西欧が眉を顰めるような歴史修正主義は控えるべきだ。やるなら誰も文句を言えない決定的証拠を全て揃えてからでなければならない。反対者を全て「売国奴」ないし「反日」扱いして黙らせるという方法は日本国内でしか通用しないし、それでは国際社会の日本に対する圧力を強めこそすれ弱めることはない。それが公人によるものであれ私人によるものであれ、よほどの証拠でもない限り第三者目線から見て「歴史修正主義」と認定されるような発言で外国を刺激するのは100%日本の過失行為にしかならないことを再認識すべきである。もし証拠があるというのなら、その証拠の方を強調しきちんと世界に対して申し開きすべきであり、第三者に認定された動かぬ証拠を出さぬまま「歴史観」を先走らせるのはあまりに危険な賭けである。少なくとも、西欧世界ではそれは「言論の自由」を超えた立派な「犯罪」と認定されかねない行為であることを、日本側は一応理解しておくべきであろう。

*追記:「言論の自由」と「歴史修正主義」の関係に関しては、欧州人権裁判所の参考資料のp.2-3をご参照いただければ幸いです。

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