『損する結婚 儲かる離婚』

藤沢 数希

損する結婚 儲かる離婚』藤沢数希

まえがき

国際的なビジネスマンや起業家の方たちと話すと、彼らは目まぐるしく変化する世界経済のなかで、いかに稼いでいくか、そしてどうやってリスクを避けていくのか、非常に高い感度で情報収集し、とても深く考えていることに感心する。また、日本や世界の政治情勢に高い関心を示し、規制や税制の変化にもとても敏感である。これほど様々なリスクに関心を払っている優秀な彼らだが、身近にひとつの巨大なリスクを抱えていることに全く気がついていない。そのリスクとは「奥さん」である。

これから話すことは、筆者の友人に本当に起きた話だ。筆者は国際金融の世界でトレーディングなどの仕事に従事し、いくつかの外資系投資銀行の東京オフィスを渡り歩いてきた。彼は以前勤めていた会社の同僚であり、友人だった。中国の理工系大学を卒業してから、やはり外資系金融機関の東京オフィスに就職して、かれこれ10年以上も日本に住んでいる、純朴な中国人の青年であった。日本語も流暢に話した。私たちは、英語と日本語のちゃんぽんでよく会話していた。その会社がちょうど東京でトレーディング・チームを拡張しているときに、私も彼もヘッドハントされて転職してきたので、自然と仲のいい友だちになって、たまに飲みに行ったりした。彼はまじめな青年だったので、あまり女関係の話はしなかった。仕事の話ばかりしていた。

そんな彼が、ある日、奥さんのことで落ち込んでいた。彼には、日本人の妻がいた。その妻はホステスをしていたときに、彼と六本木のキャバクラで出会った。結婚して3年ぐらいになる。奥さんは専業主婦になり、子供はいなかった。当時の彼は30歳ぐらいで、彼の奥さんはたしか彼より3つぐらい下だったと思う。あるとき、彼は、妻が浮気をしていることを見つけてしまったのだ。そして、そのことで彼女を問い詰めると、あっさりと別の男と寝たことを認めたらしい。パブでふたりでビールを飲んでいるときに、彼はそのことを筆者に打ち明けてくれた。

彼はとても真面目なタイプの男だったので、妻の浮気が許せなかった。彼から離婚を切り出した。すると、彼の奥さんも、それを認めた。そして、彼女は家を出て行ってしまった。しかし、彼の長い苦悩はここからはじまるのだった。彼に何が起こったのか? 結論から書くと、彼はこれから長い裁判を戦い続けることになり、最終的に離婚を勝ち取るのだが、それまでに2年間もの月日と膨大なエネルギー、そして大変な金額を費やすことになった。いったんは離婚を認めた妻だったが、その後にやっぱり離婚しないと言い出したのだ。そして、驚くことだが、彼は、この出て行った妻──どこに住んでいるかもわからない──に家庭裁判所から毎月37万円もの支払い命令を受けていた。これは彼の当時の年収の3000万円から家庭裁判所が計算したものだ。2年間、毎月37万円を支払い続けることになった。最終的に、彼は奥さんに3000万円もの解決金を支払うことにより、離婚裁判の最中に和解で離婚した。彼にはひとつも落ち度がないにもかかわらず、浮気をした妻に離婚してもらうために、37万円×24カ月=888万円、そして、和解の解決金3000万円で、合計3888万円も支払ったのだ。弁護士費用を含めれば、これは彼が別居をはじめたときのほぼ全財産に相当する金額になった。

ここまで読んだ読者は、そんな理不尽なことがあるのか? 中国人の彼は、きっとその元ホステスと弁護士に上手いことやられたに違いない、と思ったことだろう。しかし、彼と同じ状況──夫の年収3000万円で妻は専業主婦──に立たされ、日本で離婚裁判に巻き込まれれば、誰もが似たような金額を払うことになるのだ。彼の離婚係争は、決して特殊なケースではなく、日本の司法慣習に完全に則っている。つまり、同じぐらいの年収があれば、誰もが陥る可能性のあることなのだ。

「離婚すると財産の半分を支払う」「相手が浮気をしたら裁判で簡単に離婚できる」「不貞行為をした相手からは莫大な慰謝料が取れる」などということが世間では言われているが、これらは全くの誤りである。

まず、今回の彼のように、まともな企業からそれなりの給与を得ている場合、専業主婦と離婚しようと思えば、財産の半分で済むことは非常に稀である。なぜならば、婚姻費用という月々の支払い義務が発生するからである。また、相手が浮気をしたと言っても、いざ裁判になれば、そのことを相手が認めるわけもなく、それを立証するのは大変困難である。そして、日本は慰謝料自体は非常に安い。離婚で大きな金が動くのは、財産分与と婚姻費用であり、これらの支払いは、どちらが浮気などで離婚の原因を作ったかとは、全く関係ないのである。さらに、これは彼が極めて高額所得者であったからでもない。もちろん、ない金は絶対に取れないので、所得も貯金もない配偶者から離婚で金を取ることはできないのだが、まともな仕事である程度の所得を得ているビジネスマンが離婚するならば、彼と同じように、自分の財産の半分程度ではまず離婚できない、と思っていただいて差し支えない。

このように実際の結婚と離婚でどうやって金が動くのか、世間には驚くほど正確な情報が伝わっていない。それはなぜかというと、弁護士の先生方は、建前の世界で生きているからだ。彼らは、司法の場で正義のために戦っているのであり、様々な司法テクニックを駆使して、相手から最大限に金を取るために働いてはいけないのである。少なくとも建前では。だから、弁護士の先生たちと、オフレコで酒でも飲みながら話すと、本当の司法の実態や裁判の戦い方を教えてくれるのだが、実名が出る書籍で、そのようなことが語られることはほとんどない。だから、弁護士でも何でもない筆者が、身もフタもない結婚と離婚のマネーゲームの真相を全て解き明かそうというのが、この本のひとつの目的である。

また、法律家のみなさんは、キャッシュフローの現在価値の算出や、それぞれの司法戦略のリスクとリターンの分析など、近年、飛躍的に発達してきた金融工学の考え方が必ずしも身についていない。じつは、結婚(そして潜在的に将来の離婚)という法的契約は、ひとつの金融商品の取引だと考えて分析すると、驚くほどその本質が理解できる。

ところで、本書は特に断りがなければ、男性のほうが年収が多いとして解説していくが、女性のほうが年収が多ければ、性を入れ替えて読んでいただければ、そっくりそのまま書かれている議論が当てはまる。なぜならば、男女平等というのは近代国家の法の精神の基本だからだ。当たり前だが、バリバリ働いている女性は、稼ぎの少ない男性と結婚したら彼を養う義務があり、離婚するなら彼に相応の金を払ってやる必要があるのだ。

それでは、なぜこの中国人の青年が、浮気した専業主婦と離婚するために、これほどの労力と金額を費やさなければいけなかったのか、詳細に解説していこう。

損する結婚 儲かる離婚 (新潮新書)
藤沢 数希
新潮社
2017-02-16

編集部より:この記事は、藤沢数希氏のブログ「金融日記」 2017年2月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「金融日記」をご覧ください。