給料は労働の補償ではない

2017年03月14日 11:30

企業に勤める人は、自分の給料や賞与について、何の対価だと考えているのか。労働という苦痛の対価だと考えている人もいるであろうか。しかし、現代において、給与等は労働という非効用に対する補償である、そのような労働観はあり得るのであろうか。

雇う人と雇われる人、あるいは、使用者と被用者、更には、資本と労働、確かに、そのような二元論は、資本主義の原形も留めないほどに高度に修正された現代資本主義体制のもとでも、理念的にはあり得るが、現代企業組織のもとでの処遇制度においては、雇う人と雇われる人との間に、尖鋭な対立的な関係はないし、それどころか明確な区別すらない。形式上は使用者になっている人も、もとをただせば、一介の被用者であるのが普通だからだ。

現代企業においては、雇う人と雇われる人との両方を含んだ一つの組織内の人事制度が問題なのであり、更に、究極の論点に絞れば、その一つの組織から有能な経営職層、つまり、雇う側の人が生まれてくる仕組みこそが問題であるわけだ。

この点について、企業統治論の見地からは、経営職層は、経営機能的な問題として、かつて自らも属していた組織全体からは、意識的に適切な距離を置くことが必要だと思われるが、はたして、そのような意識次元の飛躍というか、悟りのような意識の断絶は可能なのかという問題がある。あるいは逆に、敢えて日本的という言葉を用いて、使用者意識と被用者意識の連続性のなかに、日本的経営の特質をみるべきか。

また、企業にとって、被用者とは、同時に顧客であることも見逃せない。日本の高度経済成長のときもそうであったし、一般に、どの国でも、経済成長における大衆消費の役割は極めて重要なものである。高度経済成長期の日本では、激しい労使対立のなかで、実は、急速な賃金の引き上げも行われてきたのであり、それが消費を刺激して、成長を支えてきたのだ。安倍政権が雇用重視の姿勢に転じたのも、成長戦略における大衆消費の重要性に着目したからだろう。

いずれにしても、企業統治論を拡張して、企業ステークホルダー論に展開したときには、単純な労使対立論などあり得ない。故に、少なくとも、給与等は労働という非効用に対する補償であるとはいえないのである。では、給料とは何の対価か、これは難しい問題である。

 

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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