「濱渦・東ガス交渉」の鍵握るトヨハルについて

川松 真一朗

東京都議会議員の川松真一朗(墨田区選出・都議会自民党最年少)です。

証人尋問行われる

土曜日の証人尋問ですが、福永元東京都副知事はじめ元市場長、そして東京ガスの方々と短い時間ではありましたが都議会において尋問調査が進められました。基本的に、土地取得の経緯、東京都は東京ガス側に便宜を図ったのかという点などが主なポイントだと思われます。

私はこの点について、議会発言や各資料、あるいは当時を知る人々にヒアリングをしたりしながら、ブログやツイッター@kawamatsushin16で発信しているわけですが、巷間言われるメモを基にした想像の話は排除したいと考えています。それが、都民の皆様、国民の皆様に正しい判断材料を提供する事に繋がるものだと考えているからです。

ファクト、ファクト、ファクト

小池知事は石原知事の主張を「小説のようだ」という指摘をされました。加えて、小池知事自身が「ファクト(事実)、ファクト」と言っておられます。是非とも、メモ書きを基にした小説(空想)ではなく、事実の積み上げの議論をしていきたいなと考えます。その上で、この先も市場長経験者、濱渦元副知事、石原元知事と3連休の喚問を迎えて参りたいなと考えています。

そこに向けて、土曜日の尋問でも何度も話題になった「トヨハル開発」について、今日は触れておきたいと思います。

豊洲と晴海の計画

さて、これは平成2年(1990年)6月に策定された「豊洲・晴海開発整備計画」です。
今、俎上にある「豊洲の埠頭」は、石炭埠頭として注目をされました。

その後、
昭和32年(1957年)に東京鉄鋼埠頭株式会社が設立。
昭和33年(1958年)4月から岸壁護岸工事。
昭和34年(1959年)に完成。
昭和40年代後半には計画を上回る取引量達成。
ところが、
昭和50年代に千葉港に鉄鋼専門埠頭が整備されると取引量が激減。
そして、
平成2年(1990年)の上記計画が出て既存施設は中央防波堤内側地区へ移りました。

「東京ガス埠頭」

一方、戦後の東京の街発展と共にガス需要が増大し、東京ガスによって昭和29年(1954年)に既に稼働していた(戦後の経済再建に向けて国家事業として整備行われた東京都債で整備された)豊洲石炭埠頭に隣接して埋立て工事が行われました。

それが、
昭和30年(1955年)の約33万平米の埋立地が完成。ここにガス工場が誕生。
そこから東京の街、発展をガスが支える事になりますが、電気が主流になる中で、
昭和51年(1976年)に豊洲工場のコークス炉は停止。
ちなみに、東京電力もこの地を埋立整備し電力供給を行ってきました。

区画整理事業

このように、臨海部が大きく発展していく変わりゆく中で、この豊洲埠頭をどう整備し町を開発していくかという研究・議論が進められていく事になります。

平成5年(1993年)には都市計画決定(都市計画道路6線、土地区画整理事業、再開発地区計画)
平成9年(1997年)に「臨海副都心まちづくり推進計画」「豊洲・晴海開発整備計画(改訂)」を策定。11月には豊洲土地区画整理事業の事業計画決定となります。

この時点で、すでに埠頭内の土地の再編計画が進められて、東京ガスや鉄鋼埠頭株式会社、東京電力、東京都といった地権者が土地をどう入れ換えて整備(換地作業)していくかなどの話し合いを進めて平成10年(1998年)に地権者が方向性を一つに合意しています。

重要なのは平成9年(1997年)から換地作業が始まっているのですが、市場移転は考慮しない案で議論が進められれていたという事です。そこへ平成13年(2001年)に具体的に市場移転計画が浮上もし、平成14年(2002年)に土壌汚染や地下埋設部については「環境確保条例」に基づいて処理する事で、地権者均一の換地条件となる「平成14年合意」というものが固まります。

そして、平成15年(2003年)「豊洲新市場基本構想」が策定され、市場を考慮した埠頭の開発整備が進められていく事になります。

豊洲埠頭の誕生と発展

歴史的な経緯を踏まえれば、石炭埠頭であり、鉄鋼埠頭であり、ガス埠頭であり、電力埠頭であった豊洲埠頭は、上記の再開発整備計画により、ただの埠頭から、築地ー豊洲埠頭ー有明は環状2号線、銀座ー豊洲埠頭ー有明は晴海通り、そして根本部分ー先端部分ー有明は中央に幹線道路が通る事で飛躍的に町の魅力・利便性が向上する事になりました。

正に、この埠頭の新たな価値創造が「豊洲・晴海(トヨハル)開発整備計画」なのです。こういう背景を知った上で交渉を見なければいけません。ここは普通の土地取得交渉とは前提が異なるのです。この街づくりによって、一番広い面積を所有する東京ガスは商業施設を開発し、ガス外の事業収入を確保しようとするのは当り前の話です。この東京ガスに市場用地として土地を譲って欲しいという交渉が「土地取得交渉」であります。つまり、東京ガスが新たな経済拠点を作ろうかと考えていた土地を、公共事業用地として分けて欲しいとお願いするタフ交渉です。

土地が欲しい都・売りたくない東ガス

濱渦元副知事の肩を持つわけではありませんが、とにかく土地が欲しい濱渦さんチームからすると燃えていたのは自明で、譲って欲しくない東京ガスの担当者からすれば、その姿勢を表現した際に「脅し」だったのかもしれません。実際に暴行(言葉含む)があったわけでもなさそうで、東ガスからの証言からも分かるように政治的圧力があったとは推察しがたく少なくとも、当時のガス幹部は深刻に捉えていなかったかようなフシでした。

瑕疵担保責任はここにある

元市場長の話でも分かるように、東京ガスは最終的に東京都の公共事業にご協力を頂くという視点で78億円という社会的責任を果たしたわけです。この78億円という数字も、人に言わせれば足りないとなります。一方で、これも、ガス側から見れば、最初に環境確保条例に基づいて区画整理事業に協力したわけで、この時は約100億円使っています。しかも、東京都環境局が了としてしまっている土地なのです。

よく、勘違いしやすいのはここです。平成14年(2002年)合意で明らかに東京ガスは操業由来の土壌汚染は対策する事は使命としています。つまり、いわゆる瑕疵担保責任は放棄はしていません。「協議」するという約束事がなされているのです。東京都とすれば、この「協議」を信じて粘り強く交渉をして勝ち取った78億円だと思うのです。ガス側からすれば、法的には支払わなくてよい78億円を出した事になるのです。

(参考)
土壌汚染→条例に基づき責任をもって調査・処理対策・完了届
疑義が生じた場合→東京都と民間地権者は誠意をもって協議する。
地下埋設物処理→将来の土地所有者と各地権者間で協議する。

私は東京都の職員の方々と3年半の間、接してきて確かに仕事の早い人遅い人はいるけれど、ディシプリン(規律)は概ねしっかりしていると感じています。ですので、都民に不利益になるような、ましてや法規を乗り越えるほどの強引な事をしないと思います。

政治イメージ最悪。変えたい!

そもそも、日本の政治家像、あるいは政治に対する不信感て、いつからそんなチッポケなイメージになってしまったんでしょうね。これを払拭して、日本の政治に対しての信頼感を取り戻すしか無いですね。ブラックボックスも早く壊さなくてはいけないですし。


編集部より:このブログは東京都議会議員、川松真一朗氏(自民党、墨田区選出)の公式ブログ 2017年3月13日の記事を転載させていただきました(年号の西暦補足は編集部)。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、川松真一朗の「日に日に新たに!!」をご覧ください。