残業規制をさらなる弱者へのシワヨセにしないために

2017年03月15日 06:00

安倍政権が進めている「働き方改革」の一環として、残業規制の最大が「100時間未満」とする方向で決着する見通しである・・・というニュースが流れていました。

「100時間」って!!!過労死レベル直前まで合法ってこと??

・・・と思ってしまいますが、これは「100時間(過労死レベル)までなら残業させ放題」という意味ではなくて、「今までは協定を結べば青天井の特例もあったが、それをせめて最大でも100時間未満にしよう」という形なので、「一応結構前進」したという理解でいいのではないかと思います。

そのことを理解せずに脊髄反射的に「100時間」に対して怒りまくっているネット上の人も結構いるみたいですが、しかし「それは理解した上で、それでも、100時間ってねえ!」という気持ちもわからないでもありません。

特に過労が原因で自殺した電通社員の高橋まつりさんのお母さんのコメントが印象的でした。

このような長時間労働は健康にきわめて有害なことを、政府や厚生労働省も知っているにもかかわらず、なぜ、法律で認めようとするのでしょうか。全く納得できません。

月100時間働けば経済成長すると思っているとしたら、大きな間違いです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません。長時間働くと、疲れて能率も悪くなり、健康をそこない、ついには命まで奪われるのです。

とはいえ、実際に我が子の命を奪われた人の言葉には非常に重いものがありますが、私としては、「とりあえずの一歩」としてはこの辺から始めるのがいいんじゃないかという気がしています。

なぜなら、「現場レベルの工夫の積み重ね」が追いつかないままトータルな規制だけが先行すると、結果として単に「弱者へのシワヨセ」が大きくなる可能性があるからです。

現状そのレベルの残業をして回している職場が日本の中に沢山あるとしたら、ソレに対する「何らかの改善」が行われずに規制だけ強化されると、その「事業」が成り立たなくなる。そうすると、また結局「持ち帰ってのヤミ残業」のようなものが増えるか、あるいはその事業自体を辞めて従業員をクビにするしかなくなる。日本じゃあ解雇しづらいので、結果として「ホワイトな職場」に既得権がある人の数がさらに減って、その外側で生きている人に色んな形で「シワヨセ」が行く結果になるかもしれない。

とはいえ、「このままでいい」わけは全然ないわけなので、いずれこのハードルはどんどん上げていけるようにすることが理想ですよね。原則論的には、「残業規制が守れないなら人を増やすべき。それができないような事業は淘汰されることによって、全体として生産性が高まるしブラック企業もなくなることになる」というのは非常に正しいわけなので。

一歩ずつ残業100時間規制を80にしても成り立つような職場環境を日本全体で実現していく。じゃあ次は60に挑戦しよう!!となっていくのが理想です。

そのためには、以下の図(クリックで拡大します・・・力作なので細かい台詞までぜひお読みください)のように、

「ちゃんとホワイトな職場を増やしていく算段」に対して日本人が「協力しあえる」ように持っていくことがどうしても必要になってきます。

経営者は「残業減らせよ!俺の責任になっちまうじゃねーか、方法はお前ら考えろ!」と言いっぱなしにするだけで、インターネットにも「こういう日本ってクソ!死ね!」という言葉が言いっぱなしに次々と投稿されて次々と「いいね!」を取っていくけれども、誰も実質的にまわりと協力しあって具体的な改善をする意志を持たず、結局「現場の人」に次々と単にシワヨセが行くだけで終わってしまうことになる・・・ようだと困りますね?

「日本って無駄な会議多いからクソだよね!」という「”日本”という超大きな主語」で吹き上がっている感情エネルギーを適切にまとめていって、

「”ウチの会社”の”この会議”が無駄。それを辞めたぶんの代替としての情報共有手段はコレ!」

という方向に結実するように持っていかないといけません。

実際に上図の左列でなく右列のようになっていけるか?に対して、我々一人ひとりができることをやっていく必要がある。

「法的な残業上限の数字」を低い数値しさえすればすぐに「あなたの職場」が変わるわけではないので、とりあえずの一歩を、「ちゃんと変わっていくための一歩」に変えていきたいですね。

なんにせよ、日本じゃ「こうやって仕事を簡素化しよう!」と言い出しても「お前がラクしたいだけのことになんで俺が協力しなくちゃなんないの」となってしまいがちなので、こうやって『公的な声かけ』をキッカケとして、「働き方改革しなくちゃな時代ですし、これやってみませんか」と言い合える気分をまず作っていくのは非常に大事なことです。

そういう「声のかけあい」が、組織内部だけじゃなくて、取引先関係も含めた日本社会のあちこちで自然に起こせるようになっていきたいですね。

じゃあどうすればいいのか?について、簡単に方針を2つ書いてみたいと思います。

その1・”小さくはじめて大きく広げる”形で巻き込んでいくプロセスを地道にやる
その2・「視野の広い個人主義者」と「集団的日本人」との間の連携を意識的に模索する

・その1について。

全体として、上から経営者が「おまえら残業減らせよ!」とトップダウンで言って無理やりにやらせようとしてもなかなか具現化しない。しかし、小さな実例レベルで「これイケルかも?」という改善案を実行し、そこから芋づる式に周りを巻き込んで行く形(このときに後付にトップダウンでお墨付きを与えて動かしていく)形にすると、「大きな主語で吹き上がってる無駄な感情」を「具体的な改善提案」に適切にまとめていくことができます。

今朝に日経新聞に自分が書いたんじゃないかってぐらい同意な記事があったんですが・・・

働き方改革、社長が張り切ると失敗“渋滞学”西成活裕・東大教授インタビュー(下)

上記記事のようにステップバイステップに、「改善」の火種を横展開できる動きを「日常化」していけるといいですね。

その「変革の日常化」にあたっては、ぜひ前回の私の記事「老害さんとの対決から逃げてはいけない」をお読みいただければと思います。

・その2について

とはいえ、上記のような「業務改善」だけで残業をちゃんと減らせるかっていうと限界があります(真剣にやれば想像以上に劇的に変わる職場もたくさんあるとは思いますが)。

それ以上に根本的に「職場をホワイト化」していくには、「そもそも無理なく儲かる事業領域」を確保して、そこでちゃんと「無理なく勝てる仕組み作り」もちゃんとやった上で働く・・・ようなことが必要になってくる。

結局職場がホワイトかどうかは、「勝てる試合」をそもそもやってるかどうか・・・に大きく依存するんだというのは、私がコンサル業のクライアントたちを見ていても思うことです。いわゆる「戦略の失敗を戦術で取り返すことはできない」というやつですね。

問題は、「視野が広くて戦略的な発想ができる人材」と、「いわゆる日本的な組織」というのが乖離しがちで、創業経営者が全権を持ってたりするような好例を覗いては、思い切りの良い「戦略」を適宜「日本人の集団」がうまく採用できなくなってしまっていることです。

一昔前には、「ひとつの企業の中」に個人主義者も集団側の人間も両方いて、それぞれ多少はぶつかりあいながらも時間をかけて相互に理解をし、それぞれの良さを出し合って「視野の広い戦略性」と「現場的優秀性」をシナジーする組み合わせは自然に生まれていました。

が、今は「視野の広い戦略性を持った人材」が、「日本的集団」の中で我慢しきれずにさっさと見切りをつけて転職してしまい、もっと個人主義的なスタイルで仕事できる環境に出ていってしまうことが多くて、この「戦略」と「現場」との乖離が余計に激しくなっているように思います。

その解消はそう簡単なことではありませんが、「個人プレイ型の小組織や個人事業」と「日本的な組織」をピンポイントでうまく協業させるスキルを今後意識的に磨いていけば、むしろ以前よりも適切な形で両者の良さを発揮しあえる形を大規模に実現していけると私は考えています。

そのためにはかなり大規模な「静かなる革命」が必要で、それが実現できるかどうか・・・によって、「掛け声倒れに終わらない本当の働き方改革」ができるかどうかは決まります。

もし興味があれば、少し長いですが個人的に過去に書いたブログ記事の中で最高傑作だと思っている以下の記事をお読みいただければと思います。

我々が起こすべき「静かなる革命」について・・・または「知性とは文脈力・空気を読む力」という時代の終焉

それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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