「文革的」と「文革の再来」の根本的な違い

2017年03月18日 06:00

「文化大革命の再来」について続ける。

いたずらに煽ることには賛成しない。だが、危険な芽に注意を払うことは忘れてはならない。文革中は、社会の異分子を排除するため、法を無視し、冤罪をでっちあげ、見せしめ、再起不能になるまで叩きのめすことが日常的に行われた。人の権利も尊厳も虫けら同然に踏みにじられ、自殺に追い込まれた知識人も数多い。数千万人規模の犠牲者を生んだのだ。

今でも、恣意的な権力が特定の個人に対し、文革まがいの弾圧を行うことがある。ネットでの容赦のない集団による個人攻撃をみていると、本で読んだ文革の光景を思わずにはいられない。中国社会の封建的な性格だけが理由ではない。人間の本性、弱さ、醜悪さに根差しているだけに、あらゆる国で起こり得る。日本の新聞社でも似たようなことが行われているのを、私は知っている。

だから「文革の再来」への危惧を煽るよりも、「文革的」なるものの芽を摘むことが、国境を超えた人類共通の課題だと考える。中国が薄熙来元重慶市党委書記のスキャンダルに沸いた2012年全国人民代表大会閉幕の記者会見で、退任間近の温家宝首相が言い残している。薄熙来解任の前日だ。

「文化大革命の誤りと封建的な影響は完全にはぬぐえていない。経済の発展に従い、分配の不公平や信用の書いてみる欠如、汚職腐敗の問題も生じた。こうした問題の解決を理解するためには、経済体制の改革だけでなく、政治体制の改革、特に党と国家指導制度の改革も進めなければならない。今や改革は攻めの段階に入った。政治体制の改革がなければ経済体制の改革も徹底して進めることが不可能で、すでに成し遂げた成果も再び失うかも知れない。社会で発生した新たな問題を、根本から解決されなければ、文化大革命の歴史の悲劇はまた繰り返されるだろう」

総書記に次ぐナンバー2の首相が残した最後のメッセージだ。最高指導部の合意を得ていないスタンドプレーとして、温首相は自己批判を迫られた、と後日談を耳にした。覚悟を決めて語った深刻な反省である。政敵である薄熙来への反感がにじみ出た発言だが、重要なのは「政治体制の改革」への言及である。権力へのチェックが働かなくなれば、必ずや法は形骸化する。文革の反省もここにある。

多くの日本人が誤解している。中国において「権力の集中=悪」ではない。胡錦濤政権時代に起きたのは、権力の分散によって、各権力が勝手放題に振る舞った腐敗現象だ。当時、民主派の知識人も「胡錦濤は権力が弱く、役に立たない」と批判していた。現在は、習近平が力を握り過ぎたことへの批判に変わっている。法治社会建設の衰退だという声もある。だがそもそも法に絶対的な価値は与えられていない。統治の道具でしかないのは有史以来変わっていない。

この大国を率いる巨大な権力機構において、いったん権力を解き放てば、たちどころに内部崩壊する。だから権力を中央に集中させ、グリップをきかせなくてはならない。そのために用いられるのが法である。これが習近平を含めた歴代指導者の発想だ。政治体制改革も結局は集めた権力をどう使うのか、という点に帰結する。西側の権力チェック機能を想定していては、永遠に堂々巡りの議論をすることになる。

庶民もこの体制を根本からひっくり返そうとは思っていない。今の安定と発展を保ちつつ、一歩一歩、住みやすい社会になればいいと思っている。これまであまりにも多くの苦難を経てきた。ようやく豊かになるチャンスがめぐってきた。この気持ちはなかなか外国では理解できないだろうが、隣国の日本人は、深い傷跡を残した当事者として、理解しようと努めなければならない。

まず自らを振り返り、相手の立場に立つことが、相互理解の第一歩であることは言うまでもない。もちろん多種多様な人がいるということを念頭においてだ。さもなければ不毛な罵り合いで終わるしかない。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2017年3月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。

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加藤 隆則
汕頭大学新聞学院教授、元読売新聞中国総局長

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